音楽

ずっと前から考えていてこの前やっとわかったというか答えが思い浮かんだことがあり、しかしそんな当たり前のことを鬼の首でも取ったかのように書いたら恥ずかしいに決まってると思って書かなかったのだが、さっきググッてみたら全然当たり前じゃなかったようなので書き、江湖に問う。ブログとか検索エンジンとかは何ゆえ無料でサーヴィスが提供されているのか、どこから収益を得ているのかということ。広告収入だけで賄えるとは思えないのに、色んな企業がブログ提供サーヴィスや検索エンジンを立ち上げて利用を促している。そのあまりの売り込みぶりから、要するにこれはマーケティングに使われているんだと思った。こうやって人々がせっせと日記書いたり検索したりしているその文字情報を分析して統計を出し広告代理店とかに売る。統計は個人情報じゃないので普通に商品たり得る。何かそういう仕組みでマーケットが動いていて、色んなものが売られたり買われたりしていて、つまるところ欲望なんてものは根っこから管理されているんだろう。ああそんなことも気づかないでかれこれ260日も書いて生きてしまった。というかこの機械の外に出ることって出来るんだろうか、というか出ようとする必要あるんだろうか、などとグダグダ考えつつ、ここでもまたググッてみたら「ブログは運営側の負担の大きさに比して収益につながらない」という記事が見つかり、マーケティングみたいな話は書かれていなかった。これが「データなんて余裕でバリバリ搾り取ってるが(もちろん感じ悪いので大っぴらには言わないが言わないだけで別に)、それだけでは大した収益にはならない」という意味なのかどうかは不明。しかしともかくこういう消費者側からする邪推というか裏読みという形で自己反省し続けるところも機械の機械たる所以の一部なのだとは思う。
ネットの懸賞とかアンケートとかだけで生活している夫婦というのを前にテレビで見たことがある。そういうものはもろに個人情報を吸い上げる目的で企画されてるわけだが、でもその夫婦はコンピューターを二台並べて、一日中懸賞に応募したりポイント貯めたりアンケートに答えたりして、いわば情報としての「身」を削りつつデジカメとか自転車とか当てて換金し、北海道の鮭とかオージービーフとか当てて晩飯にし、時々ハワイとか温泉にも行って生きていた。ほとんど野生というか「狩人」の生活だった。
某社のFさんが退社との知らせを受けたので、8月はびわ湖ホールへ行ってチェルフィッチュ伊藤キムを見つつ、お疲れ会みたいなことをすることに決めた。