意味生成

今日はだいぶ用事を片付けた。来月のシンガポールインドネシア関係の調整、今週末のびわ湖行きの手配。関西行きの夜行バスは、うっかりしていたら急激に予約が埋まっていて、つい先日このことで相談していたSちゃんから(なぜかmixiで)「もうなくなってる」と言われ、焦った。一日早く出て京都で一泊するプランならば辛うじて間に合った。あと2席しか残ってなかったのでもの凄い勢いで予約フォーム入力。ギリでゲット。しかしこの分だとまた原稿の仕事に追いまくられそうな雲行き。
最近TVで面白いなと思ってるのはダウンタウン『考えるヒトコマ』。お題に沿った四コママンガを、四人で一コマずつ考えていく。誰か一人の案が採用されると、次のコマをまた全員で考える。一コマずつ皆が笑いを取ろうとする辺りからしてすでに四コママンガとしての体裁を大幅に逸脱しており、しかも興味深いことに、番組最後に流される「完成品」は決まって面白くない。つまり完成した形ではなく、あくまでもプロセスが面白いのである。「可笑しな画」ではなくて「笑いが生起する瞬間」にフォーカスが当たっている。「コマ」ではなく「コマを出す」というパフォーマンスだといってもいいかも知れない。マンガで笑いを狙っている以上、来るべきコマの可能性は無限であり、それがまさに顕在化するスリリングな瞬間に笑いが起こる。無限に開かれた可能性が思いがけない仕方で極端な限定を受ける時に、その限定(決定)の効果が最大限に膨らむのだろう。したがって最終的に選び取られて線状になった四コマは、たとえ4×4×4×4=256通りのパターンからの所産とはいえ、やはり256分の1でしかないのだ。∞分の1の四連発には及びもつかないのだ。なんかわかったようなわからないような。