便

コンピューターで、シンガポールでやるレクチャー用の映像の編集をしていたらいきなりDVDライターが動かなくなった。調べたら2002年に新しいディスクの規格が出来ていて、ドライヴァーがそれに対応してなかったのが原因のようだった。急いでるのにどうしてくれるのか!しかし自分の持っているマシンは「新しい、買ったばかり」という意識を持ったまま、恐ろしい勢いで時間は過ぎていた。2001年に買った(自作機だけど)コンピューターはもう丸っきり古いのであった。新しいものがどんどん出てきて、前のはもう使えないとなると、もう新しいものを買う気力も失せてくる。新しい商品を追いかける趣味は最初からないけれども、何か必要を感じて「よし買おう」と腰を上げるまさにその時、信頼のおける商品は事実上どこにも売られていないも同然なわけで、つまり機械はどんどん便利になっているけれども、その便利さは一瞬の影みたいなものとしてしか現象していなくて、実は「便利」よりも「不便」の方がはるかに実体性を伴って存在している。「便利」なものは、すぐに「不便」に転じる可能性を豊富に含んでいるがゆえに、今のところ「便利」なのだ。つまり「便利」を買い求めることは結局ごくごく近い未来(わずか数ヵ月後から数年後)における「不便」を購入することに等しい。そういえば今朝、アイポッドナノとウォークマンが同時に発表されたニュースをやっていて、ふーん、と思いながら見ていた。アイポッドシャッフルを買った人はアイポッドナノに乗り換えたりするのだろうか。シャッフルを買わなかった人が今度こそナノを買ったりするのだろうか。シャッフル買おうかな、とかちょっと思っていたのだが、シャッフルを買う気もなくなったし、もちろんナノを買おうという気にもならない。あらゆる「便利」はリスペクトに値する人間の創造性の賜物であるはずだと思うが、それがこんな便利/不便の不毛な自転車操業的サイクルに落ち込んでしまうことで、なんだかひどく汚されてしまうような気になる。
ムックリは少しずつ上達している。ビヨンビヨンという、いかにもな音が出るようになってきた。音が出る瞬間に口をホワンと広げるのがポイントのようだ。あとはいかに余計な力を抜き、持続させ、自在に変化を楽しめるようになるかだ。