肩の荷が降りる

出るかどうかギリギリまで悩んでいた舞踏のパネル終了。とにかく時間が短かったので誰しも喋り足りないという感じで終わったが、オーディエンスもたくさん集り、これなら次回はもっと大きな企画にできるのではないかと思う。カリフォルニア大学のマーク・フランコ氏は舞踏を被爆者の表象と結びつけた張本人として知られているらしく*1、『へそと原爆』の抜粋を見せて自説の一端を披露していた。何だかんだいっても舞踏は日本のもので、土方は「日本人」の身体を探求しようとしたのだという類の議論から抜け出すには相当な時間と労力がつぎ込まれねばならないようだ。戦後の占領時代から日米安保に至る歴史のコンテクストにおいて、アンチ・アメリカという体裁のもとに「日本人」なるものを異化し、その同一性の解体を志向し続けたのが土方の舞踏だという見方に立てば、いつでもどこでも誰でも、その時その場における「ストレンジなもの」を目論むことは舞踏たり得るのであり、少なくともそのように考えることの方が「暗黒舞踏」を『陰翳礼賛』と結びつけたりただ動きが遅いからといって能と比較したりすることよりもずっと生産的である。せめて土方や舞踏の人々が極端にステレオタイプな「日本」的素材を導入した際の重層的なアイロニーの作動ぶりくらいには思いを致してほしいと思った。ここでもやはり文化を動態において捉えるということの難しさと重要さが実感される。
NYUのキャロル、去年トヨタアワードに出た可世木さん、大駱駝艦を退団したばかりの東丸さんとは思いがけない共演になった。桂勘さんはインドネシアシンガポールにもお詳しく色々情報を得た。会場では夏に白州で会ったZにも再会、彼の話によればマンハッタンのダウンタウンはもう実験的なことは何もやっていなくて、トンがったアーティストは今ブルックリンに移っているという。
レセプションの後はみんなでタンゴの店へ行って食事をしながらAの踊りを見たりした。彼女はイタリア生まれでタンゴも舞踏もやっていて、この日はソロの、バックステップばかりのタンゴを踊った。NYはダンスなどを見に行っても開演が20:00とかで、終わるとみんなそのまま帰ってしまうから、こうして食事をするのは久しぶりで楽しかった。Zもあれは日本の良い習慣だと言っていた。

*1:玉野黄市氏がサンフランシスコで冗談めかして流布させたのが最初だという噂も聞く。