Mundo Civilizado

ミーハーなのだが夕方ユニオン・スクエアの近くでアート・リンゼイを見かけた。乳母車を押していた。
Nと一緒に、来年三月に初演される予定のYさんの作品の試演会にお邪魔させて頂く。一年半もかけて歌舞伎舞踊を学び、レイモンド・カーヴァーの短編を素踊りの様式で舞台化するというもの。黙劇のような部分とダンス的な部分があるが、動きの基本的な語彙は日本舞踊に忠実でありながら、視線による空間の緊張感(複数の視線は必ずしも空間の内部に向けて収束するのではなくむしろ外部へと拡散する)、同じ踊り手が男を演じたり女を演じたりするフォルマリスティックな酷薄さ、アブストラクトな電子音楽やノイズ、物理音など音響もカッコよく、久しぶりにトンがったものを見ることができた。アジアで見た古典とモダンの「足し算」のことが自然に脳裏に浮かんできて、古典的な規範の内側に属している人が何か新しいものを作ろうとする場合と、規範の外部にいる人が一から学びそれを別の形で活かそうとする場合とがあるのだなということを認識した。後者のケースは、まず稽古やリサーチに時間がかかり、それだけ強いモチヴェーションも必要になる。Yさんはもともと日本人だが、NYのアーティストならではの作品という気がした。
Nと別れてそのまま家の方へ戻り食事をして、歩いてジョイス・シアターへ。ここは二度目だが前回にも増して観客の年齢層がやたらに高い。そしてダンスはつまらない。しかも踊り手がマッチョで雑。うんざりした気分で帰る。せっかくジョイスにもDTWにも歩いて行けるアパートを提供してもらったがおそらくジョイスにもDTWにもあまり用はなさげ。
一昨日買ったワインを一人で飲みながらジャワ西部のスンダのCDを聞く。Suara Parahiangan というグループの Sabilulungan というアルバムで、か細い笛のメロディを中心にした静かなガムラン。録音のせいかわからないが時々笛の音に強いエコーがかかって、響きが広い水面に反射しているような印象を受ける。水。とにかくバリは隅々まで水に満たされているというイメージがあった。このCDは先月バリに着いてOさんの車の中で初めて聞き、ぼくのバリのイメージ(これはバリの音楽じゃないのだが)を形作った。Oさんは現地でバリ舞踊を習っているので車中では常にガムランがかかっていたが、最初に聞いたこの音楽がいまだに尾を引いている。
ワインとコーヒーの境目、すなわち、ワインを一通り飲んだ後にコーヒーの香りを嗅ぐ瞬間は筆舌に尽くしがたい幸福であると思う。鼻腔と口腔にまたがってあまりにも複雑なことが起こっている。