ドラマ

計画的にガシガシ仕事をし、夕方からワインを持ってAの家へ。本人の部屋ではないがやはり適度に物があるというのは大事なことでとても落ち着く。自分の部屋はいまだに物が少なく、殺風景で何となくリラックスできない。マックでヴィデオとか色々見せてもらい、あとアイスランドからE(=エミリアーノ・モナコ、ヴィデオ・アーティスト)が送ってきたDVDを見る*1。9月にシンガポールで見たこの作品はスチームバスでガラスの結露を接写しているもので、湯気が冷やされどんどん複雑なテクスチャーを展開していくところへ唐突に上から大きな水滴が落ちてきて細かく成長しつつある露の粒々を暴力的に押し流す。刻々変化するそれはドラマティックでいつまで見ていても飽きない。誰もが面白がる理由の一つは想像力が強烈に刺激されるからに違いなく、一人一人全く異なった反応や解釈が出てくるのが作品として凄いと思う。とにかく無性に何か語りたくなるのだ。静止画だったら、パッと見てまずそれが何であるかを了解し、あとはせいぜい視点を動かして、引いたり寄ったりしながら隅々まで眺め、細部を注視するしかない*2。その場合おそらく色や形、画面全体の構造などに意識が向かうだろう。然るにここではイメージが動く、変化し続ける。動くこと、変化すること、そこには色や形などとは別の何か人を惹き付け、人を動かす*3決定的な力が潜んでおり、その事実がかくも純粋に魅力的にあからさまになっているということは静かに衝撃的ですらある。リュミエール兄弟が見たら何と言うか*4。そのまま歩いてジャパン・ソサエティへ行き、ヴィーンのアーティスト竹谷明美のパフォーマンスを見る。数年前に横浜赤レンガで集団即興に参加しているのを見たが作品は初めて。レセプションで多くの人に会い、Aとピザを買って帰る。

*1:アイスランド語にはヘンな見たことない文字があることを知った。エミリアーノはイタリア人だがレイキャビクに住み、アイスランド語をマスターした由。

*2:注視以前に、注視へと向かう動機が存在する。それはもちろん注視抜きで作用する何かである。

*3:人をして何事か語らせるということ。感動する(to be moved)とは何らか行動に向かって駆り立てられることだと思う。

*4:何かの動きを見るということの中には、見ている自分との関係の変化を見るということが含まれている。アインシュタインを引用しつつ「世界には静止した点は存在しない」とマース・カニンガムは言った。動いている何かを見ている時、実はその何かが動いているのではなくて、自分の方が動いているのだという風に考えることもできる。あるいは動く何かによって、実は同時に見ている自分も動かされているという風にも考えることができる。ただしこういう物理学的な図式には、動かす/動かされるという権力関係が含まれていない。