箇条書き

部屋にDVDプレイヤーがなかったので、中国製のマルチ・リージョンのを買って来た。マルチ・リージョンどころかCDもVCDも、さらにPALもNTSCも何もかも再生できるかのように書いてあり、しかも53ドルで、怖くなる。
NY滞在中に見たダンスのレヴューは月一回のペースで『音楽舞踊新聞』に出ることになっていて、10月分はとにかく面白かったグルーポ・コルポと可世木祐子について書いた。いつも苦しむのは字数で、今回も文章を圧縮するのに最も長い時間を費やしてしまったが、しばらくかかり切りだったこれが仕上がりホッとした。
黒沢清の『回路』が5年も遅れてようやくミラマックス社配給により全米公開。『Time Out』にインタヴューが出ていた。制作当時は「インターネットが人々を互いに孤立させる」というコンセプトにリアリティを感じていたが「今はもうネットなしでは生きていけない!」とのこと。インターネットと孤独のことは今でもあまりピンと来ない。孤独を実感するきっかけではあるけれども、人を孤立させるきっかけではないように思えて、だからあの映画も今ひとつよくわからない。
何かが別の場所へと動く時、そこにあったものが排除される。したがって運動はある意味で常に「暴力的」なことなのかも知れない。生きるために食べることが常に暴力であるように。然るにダンスは無償の運動=暴力である以上、何らかの仕方で倫理を越えなければ正当化されない。
ここ数日、情緒的にひどく動揺することがあり苦しかった。