昼過ぎ、同じACCグランティーミャンマーのアーティストであるAのオープンスタジオにお邪魔して同じくマレーシアのKと中国のY、台湾のJと会う。KとJとともにコリアンの店へ行き遅いランチ、一度家に戻ってリンカーンセンターへ、今日はニジンスカの『結婚』を見る。恥ずかしながらきちんと全編通して見たことがなかった。ニジンスキーにしてもそうだがこの独特の内股や、人形めいた(というより機械的といった方が相応しい)タメも反動もない跳躍/着地は、激しく極端に重心を移動させるステップと同様にロシアの民族舞踊に元ネタがあるのだろうか。今見てもすごく異様。
さらにパクストンのコンタクト・インプロを見る。体と体を絡ませながら非常にざっくりとした、大雑把なアメリカンなやり取りが行われていて、それはあたかも「デカいアメ車」とか「アメリカンコーヒー」とか「コーラ」とかを連想させるのだけれども、しかしこちらに来てみて感じることは、そうした文化がいわゆる繊細さを全く欠いているわけではなくて、それがどこか別のところに別の仕方で働いているということだ。確実にあり、「これ」という風にはなかなかつかめないそれ。何せ少なくともコンタクト(接触)というアイディアを発明したのはアメリカ人なのだ。地下鉄などに乗っていても人の体に触れることには非常に敏感で、ちょっと触れることがあるとすぐに謝る。
夜はブルックリンのCAVEへ行ってオープニング。Mに会う。バンドゥンのYoyoyogasmanaが地元でやったパフォーマンスのヴィデオが面白かった。広場で50人ほどの人にロープを渡し、円陣を組んでもらって自分が中央に立つ。ロープの一方の端を腕や足や首などに括りつけてもらい、反対の端を持ってゾロゾロ時計回りに歩く。本人は縛られたまま宙に浮き、ロープを握った人々は喜んでいる。色んなイメージが錯綜し、また人々の経験の共有の仕方という点でも面白い。ギャラリーではやはり数人に縛られたまま音楽に合わせてシラットの型を使った踊りみたいなことをした。Naoki Iwakawaのパフォーマンスは、全裸の男に白い塗料と茶色の粉を少しずつ振りかけていき(ポロックのような手つきで)、魚を切り刻んで牛の血をかけて、というようなグロ系。しかしその「グロ」はもはやショッキングではなくむしろエロティックで、なぜかといえば全裸の男が完全な受身に徹していたからだ。あれやこれやただされるがままの体は、死んで切り刻まれる魚の「肉」に限りなく接近していく。呼吸とともに動く腹部が辛うじて生きていて、それがまた余計に単なる肉への無限の漸近を意識させる結果になっている。引き伸ばされ続ける臨界。口を開かされてそこに大量の牛の血を流し込まれると男はむっくり起きてゴーレムみたいに、左右対称の動きをひとしきり見せた。YやKやXやSさんやTたちと遅くまで飲み帰宅。