ここのところ Movement Research のショーケース(Movement Research at the Judson Church "About Town"*1)に毎週行っているが、今日は三本ともパフォーマンスみたいなやつで、どうも「パロディ」というスタイルがNYの一つの定番になっているように思えてきた。パロディに徹することができるということは、そのパロディを理解することを期待できる共同体が前提となっているわけである。特に三本目のやつは大学の舞踊科のクラスのこととか地下鉄に貼ってあるテロ警戒の文章とかを延々と喋るもので、要するに大小のスケールの「内輪ネタ」なのだが、「大学ではヴァイオラ・ファーバーとずっと同じクラスをとっていた」とか「プリエはすごく重要」とか「ジャドソン教会はリスペクトしてるし実際自分にとってもお気に入りの場所で居心地がいい」とか、ダンサー同士の内輪ネタが成立してしまう点が特徴的で、事実NYのダンサーたちは「コミュニティ」という言葉をよく使う。ここに、まさしく60年代のジャドソン教会に端を発する「ダンスにおけるデモクラシー」の一つの帰結を見ることができるのではないかと思った。
トリーシャ・ブラウンが壁に垂直に立って(もちろんロープで固定している)歩いて降りてくる有名な作品、あるいはスティーヴ・パクストンが「歩行」を「誰もが共有する日常の動作」の典型として扱っていることと、土方巽が「立てない」ところからダンスを始めていることとは、鮮やかな対照をなす。もちろん日本における舞踏とコンテンポラリーダンスの間には連続性と非連続性があり、安易に連続性ばかりを強調することは危険だが、それでも環境としては当たり前のように舞踏がある国のコンテンポラリーダンスが、舞踏から何かを引き継いでいてもおかしくはない。かたや「民主主義」が閉鎖的なパロディの共同体に行き着いているNYのダンスに対して、日本のダンスもアイロニーの点では負けていないが、ただし何が違っているのかパロディをやることで満足してしまってはいない。
パロディとは結局、(パロディの)対象の認識の仕方をズラすというところに本質があるのだろう。つまりそれはどこまでも認識の操作なのであって、例えばダンスのパロディは、それ自体は必ずしもダンスである必要はない。むしろ「いわゆるダンス」を演じる、演劇的なフォーマットに傾いていくのがよくあるパターンだ(なぜならパロディはパロディの対象を多少なりとも「再現」しなくてはならないから)。だから「いわゆるダンス」を認識として共有しつつも、誰一人として実際にはダンスを「見」てはいないような、そういうどこかイヤな感じの舞台空間が生まれる。このようなパロディは、「いわゆるダンス」を回避する(否定する)ことには成功していても、結局「いわゆるダンス」を批判的に乗り越えることはできていない。「いわゆるダンス」を批判的に乗り越えるには、ダンスのパロディがさらに別の紛れもないダンスになっている、というのでなければならない。つまり、ダンスといったら今はそれじゃなくてこれだろ、という代替案がパフォーマティヴに提示できていなければ、わざわざ「いわゆるダンス」なんかを語る意味はないのだ。しかしこの「パロディ」と「パフォーマティヴ」との関係が論理的にどうなっているのかがよくわからない。いま手元にないので確認できないが、確か北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』の最後の方で問題になっていたのもこんなような話だったと思う。そして日本のコンテンポラリーダンスは、どういうわけかこの「パロディ」と「パフォーマティヴ」を両立させることにある程度成功しているような気がする。身体表現サークルなど見ていると「そんな馬鹿な、しかし…」という、否定と肯定がないまぜになったような思いにとらわれる。その辺りに何か解きほぐすべき課題があるだろう。
パロディを単なるパロディとして終わらせてしまうNYのダンスは、パロディが前提とする何かを突き破れないでいる。ダンスに対する強固な思い込みがある。そしてそれはジャドソンのデモクラシーからずっと地続きになっているように思える。イヴォンヌ・レイナーはミニマル・アートを参照しながら、「ヒューマン・スケール」の(アンチ・スペクタクルの)ダンスを構想した。この「人間」ということが、やはり舞踏と対比できるだろう。一方は誰しも「歩く」ことができるような「人間」から出発し、他方はむしろ「人間」以下をどんどん見ていった。つまり舞踏はポスト・ヒューマン、さらにいってしまえばポスト・ヒストリカルだった。とすれば、日本のコンテンポラリーダンスもその線で考えることができるだろう。

*1:本来はジャドソン教会で開かれているが改装中のため会場をDTWに移している。