昨日またロナルド・K・ブラウン/エヴィデンス・ダンス・カンパニーを見にジョイスへ行き、今度はBプロを見た。フェラ・クティの曲を使った作品が三本並んでいて、燃えた。とりわけブラウンの奥方らしき Camille A. Brown は一昨日の踊りに輪をかけて凄まじかった。
その後、家へ帰る途中でフラメンコのショーをやっているのを見かけて入る。レストランに小さいステージが付いているスタイルで一度見てみたかった。一人目の踊り手は若くてお行儀が良かったが二人目はステップに思い切り腰が入っていて(しばしば過剰なまでに)重く、大変な迫力だった。見ているこっちまでクラクラして身がよじれてしまいそうになる。あまりディープな雰囲気のある場所ではないが、本当に近所なので(アパートの隣のストリート)また行くかも知れない。
今日はリンカーン・センターへ行こうとしたら久しぶりに雪が舞っていた。12月の初旬以来だと思う。しかしそれほど寒くはない。80年代のトリーシャ・ブラウンをまとめて見た。夜はDTWですごくヘンな、コンセプチュアルなパフォーマンス系作品の二本立てを見た。
思えばこうして毎日人間ばかり見ている。映画をたくさん見ていた高校時代にも、「どうして映画は人間ばかり映しているのか」と思っていた。黒沢清は『映画はおそろしい』の中で「どこにでもいるし言うことを聞くので撮影しやすいから」と答えていたが、ダンスの場合も基本的にはそうだと思う。物や動物が動くのを見るのも楽しいが、人間が動く方がより楽しいのは、人間の方が複雑で多様なことを思い通りにできるからだ。しかし映画の場合と違うのは、ダンスが、人間の体を通して「人間」という枠に収まらない何か得体の知れないものを顕在化させるところだと思う。たまたま人間の形をしているが、たまたまそうでなかったら別様であり得たもの、一言でいえば「生」そのもののような何かが、人間の外形とせめぎ合うという仕方で現れる。だから映画をたくさん見ていた時は「人間ばかり見せられてうんざり」と思ったが、ダンスをたくさん見ていてもそんな風にはあまり思わない。むしろ毎日毎日人間ばかり見ていてよく飽きないものだと不思議に思う。