基本的にオリンピックとかは見ないのだがなぜか女子フィギュアを見た。一人一人ほとんどまるで違う競技をしているように見える。異様に手足の長いイタリアの選手は重心が高すぎるので危なっかしく「バランスをキープする」ことが最優先であったり、細かい手振りなど非常に凝った振付を見せる人もいたり、準決勝(?)で見たサーシャ・コーエンなどは何といっていいかわからないオリジナル芸になっていた。氷の滑りに身を任せたり速度の中で危うい体勢を操作しながら微妙な自在感を味わっているさまが、ほとんどダンスというか、世にダンスと称されているもの以上にダンス的だと思わせる人もいた(土とか砂とかの上で踊る人はたまにいるが氷が使われたのは見たことがない気がする)。加速をつけて踏み切る瞬間の「シーーィ、シャクッ」という音はタップのそれに匹敵するものだと思う。しかし、それにしても荒川静香のパフォーマンスは冒険しないで手堅くポイントを稼いでいく無味乾燥なもので、そのフラットな首尾の良さ、滑らかな流れは見ていて腹立たしくさえあり、こういう発想になってくるのだからやはり所詮はスポーツかと思った。スポーツであろうがなかろうが、計算の枠内で行われる行為は退屈なのだ。決勝の安藤美姫などは本当によく転び、というかそういう振付なのかと、またはそういうコンセプトでやっていますと主張されたら誰しも認めざるを得ないほど転んでいて、目が離せなかった。安藤美姫は、もうこんなに転んでばかりいては賞レースには絡めないと思ったらいっそ直ちに発想を切り替え、転んだ勢いで床で四回転してしまうべきだった。そこへ審査員の内の頭の軟らかい誰かが芸術点で高得点を入れ、各国のフィギュアスケート協会と各国のテレビ解説者は動揺し、世界中の視聴者の内の何人かが膝を打つ。こういう「前衛」的なアクション(価値の転倒、批判)がまだ可能なのはスポーツぐらいだと思う。