先日かかって来た電話を取ったらJからで、1月に初めて会って以来連絡もなかったのにいきなりランチをする約束になり、何か変だなと思いつつも今日約束のカフェへ行ったら、知らない人に名前を呼ばれた。何となく電話の声が違う気がすると思っていたのだが、案の定1月に会ったのとは違うJなのだった。しかし相手は普通にニコニコして話しかけて来る。本人には大変失礼ながら、誰なんだこれはと思いながらそれを悟られないように受け答えしていた。まさか今さら「あなた誰ですか」とは聞けない。ぼくのアパートはACCの持ち物で、前の住人がぼくと同じファーストネームのある有名な美術作家だったらしく、今も時々その「ダイスケ」あての電話がかかって来たりする。Jというからすんなり約束してしまったが、もしかしてこの人はその「ダイスケ」とアポイントを取ったつもりでいて、しかも今日が初対面なのではないか。しかしここまで来て人違いだとわかったら自分もアレだが相手も相当アレだろうし、いっそのことその美術作家になりすまして適当に話を合わせて、途中で急用を思い出したとか何とか言って逃げるかなどと下らないことまで考えていたら、ダンスの話になって来たので、少なくともその可能性は消えた。そうすると次に浮んでくるのは、人違いなんかよりももっと重大で、つまりこれは何かの罠なのではないか、もしかして自分は今犯罪に巻き込まれつつあるのではないかということだった。ACCのRからぼくを紹介されたというようなことも言っていて、それを聞くとますます、周到に調査をしてもっともらしい素振りで接近しようとしているのではないかと疑わしく思えてくる。しかしぼくの微妙な不安が伝わってしまったのかどうかわからないが、彼が自分のダンスカンパニーのパンフレットを見せてくれて、そのカンパニーの名前を見た時に、先日ACCでCとミーティングをした時にちょっと聞いていた人だとわかった。そういえば今年の夏に日本に行くので色々ヘルプを頼まれていたのだったが、電話口でJがそういう経緯を一切口にしなかったので、頭の中でつながらなかったのだ。
そこからはお互いの話を色々しながら、NYのダンス批評の話題になった。エドウィン・デンビー以来の遺産というべきだと思うが、体の動きを言葉で定着することにかけてはNYの批評は水準が高いと思うし*1、歴史に関する知識もしっかりしている。ただJによれば、あまりにも見方が表層的で、洞察が浅いので、どんなダンスのレヴューを書いても結局同じような文章になってしまっているという。最近 Tere O'Connor という振付家が、批評家の理解の浅さに対して公に抗議する声明を出してちょっとした騒動になり、『ヴィレッジ・ヴォイス』のデボラ・ジョウィットはそれについて特別記事を書いたりした。「批評家は振付家の意図を理解するようにもっと努力せよ」というオコナーの抗議は、批評理論をちょっとでもかじった人なら「意図の誤謬」の一言で片付ける素朴な主張で、批評家の一人はオコナーに反論してそのように指摘していた。問題は批評家が「振付家の意図」を「正しく」理解できるかどうかではなく、むしろ「作品」についてユニークで深い洞察を行えるかどうかなのだという立場からすれば、批評家が振付家と親しく酒を飲んで議論した方がいいだとか、そんな意見はナンセンスに聞こえるかも知れない。しかし他方、批評家が振付家やダンサーたちと一緒になって新しい芸術を盛り上げていた時代があったことも確かなのだ(例えば抽象表現主義とか、舞踏とか)。もっとも、それは振付家をよく取材して質問してその考えを理解しろとかいうことではなく、振付家の意図しないことを批評家が語り、批評家の知性を超えたものを振付家が作って互いを刺激し合うというような理想的な関係のことで、仲良くしようとかしないというレヴェルの問題ではない。おそらく、NYの批評家(というかレヴュアー)は単に忙し過ぎるのだ。プロの仕事として成り立っているその代償に、毎日ダンスを見て、ほとんど毎日記事を書いている状態なのだから、ルーティン化しても仕方ない気もする。
Jは東欧のコンテンポラリーダンスに詳しく、その話も興味深かった。ポーランドなどは、演劇や映画やクラシック音楽、ジャズは有名だが、ダンスも結構あるらしい。実はちょうど今、世界各国の若いダンス批評家に各地の現状を報告してもらう企画を進めているので、彼を起点に未知の地域とのコネクションが広がればありがたい。
店を出て彼のスタジオまで2ブロックほど歩く。今日は本当に気温が高く、春の陽気になった。何か「匂い」としかいいようのない春のこの感じは、おそらく湿度に関係している。ビルの最上階の陽射しのよく入る明るいスタジオで、他の振付家の作品のリハーサルが行われていて、Jのカンパニーのダンサーも二人出ているというので通し稽古を見せてもらった。男女5人の流れるような動きによって空間が絶え間なく変化し続け、どこからともなく波がやって来て、引いていくと砂に違う模様が現れている、という感じの不均質な経過の中に、切り裂くような速い動きと、唐突に陥没するような停滞が効果的に織り込まれている。今まであまり面白いと思ったことのないグバイドゥーリナの曲を普通に楽しむことができた。
スタジオを辞去して通りに出ると、心なしか人通りが多く、駅のホームも妙に混んでいる。冬は厳しくなかったとはいえ、温かい陽気で何か心が浮き立つような雰囲気が街に充満しているように感じられる。一度家へ戻って、窓を開放して隣の庭の鳥の声がよく聞こえるようにして原稿を書き進め、あとなぜか思い立って土方巽の『病める舞姫』を声に出して少し読んでみた。黙読している時とは全く違うその言葉の感触に驚いてしまう。黙読では遅々として前に進めないほど引っかかる、無数のささくれのような単語レヴェルの異様さが異様さとして際立たなくなり、その代わりに体感として迫るものがある。不自然な文の流れも何か感覚的に腑に落ちるというか、スムースに飲み下せる。これは、目で文字を追う時のあの行きつ戻りつしながら意味を咀嚼して進んでいく読み方と、声に出して真っ直ぐ単線的に前進する読み方とでは、全く違ったものになる本だ。夕方、World Financial Center で行われるサイト・スペシフィック・パフォーマンスを見るために、また家を出る。
WFCはグラウンド・ゼロに面していた。今までグラウンド・ゼロに行ってみなかったのは、わざわざ「見に行く」という振舞いの卑近さが何か間違っているような気がしていたからで、このように「たまたま横を通る」機会が得られたのは良かった。そこにもともとあった建物をよく知っているわけではないが、あからさまにポッカリ空いた広大な空間は圧倒的だった。とにかく、「ない」という印象を強烈に受ける。色んな人が、何も写らないのに、写真を撮ったりしていた。春の生温かい風と、ちょうど日没した時間帯の薄暗さ、街灯やビルの灯り、雑踏があいまって、事件の悲惨さとは対照的な、幸福な雰囲気が醸し出されていて、心がかき乱されるような思いを噛み締めつつ、時々少しだけ立ち止まってフェンスの向こうを覗いたりしながら通り過ぎた。崩壊したビルの中にあったレストランの数、オフィスの数などを暗誦して大声で怒鳴りながら歩いている酔っ払いのような人がいた。
WFCでは、ぼくと同じACCのプログラムで先日NY入りした美術作家のOさんと会う。夏に銀座で一度会ったきりだったので、事前に顔写真を交換していた。パフォーマンスはこのセンターの中にある吹き抜けのエスカレーターを使って行われるもので、場所は面白いのだが内容的にはあまり盛り上がらず。大きな窓から隣のグラウンド・ゼロが見える場所でやることに興味を持ちながら見ていたのだが、そんな期待もほとんど外れてしまった。これがもし伊藤千枝や、鈴木ユキオだったらどんなことをしただろうと想像しながら欠伸をしていた。
Oさんと軽く食事をしながら、色々な生活豆知識などを話す。アパートが1ブロックしか離れていないので、安いスーパーとか、ランドリーの場所など。Oさんはアメリカへ来る前に北京に行っていて、そこでの話も聞いた。
ぼくはそのままラ・ママへ行き、22時からの切符を買い、アットホームな雰囲気の中でダンスとも演劇ともつかない舞台を見た。全編にクレズマーが使われていて、旧約聖書ネタに、暗い照明や気味の悪い人形など、ぼくの抱いていた「ラ・ママ」ないし「NYの演劇」のイメージに見事にフィットするものが見られて感動した。
表へ出るともう11時だが、やはり暖かく、気持ちがいいのでブラブラと歩いて家まで帰った。街中で決して空気が綺麗ではないと思うが、思わず深呼吸してしまうほど春のいい匂いがしていた。中途半端に昂揚した気分で、イーストヴィレッジのバーのテラスで賑やかにしている人々の横を一人で通り過ぎたりするのも楽しかった。途中で寄ったドラッグストアで偶然Mさんに会った。

*1:メタファーを使わず純粋に動詞の語彙を自在に使って書けるのは英語という言語の特性でもあるかも知れない。ニュアンスの豊かな動詞一つでダンサーの動きが目に浮ぶ。