全く取りとめがなくなってしまうが最近考えたことが色々つながっているみたいなのでそのまま書くことにした。
Wege zu... の続き。石井漠がまた出てきて、この映画にはあの『囚われ人』の映像が丸ごと含まれているのだった。よく石井漠のこれはほとんど舞踏じゃんなどと言われたりもするが、要するにその無手勝流の自由さが凄い、ということなのだと思う。あるインタヴューでゲルハルト・ボーナーが「expressive が emotional と勘違いされたところから表現主義舞踊はダメになった」というようなことを語っていて、確かに初期の人たちのダンスへの衝動というのは、単に、型にはまった表現の仕方ではアウトプットできない何ものかを何とか形にしたい、というような、やむにやまれぬ勢いみたいなものであったように思われる。それで、この映画にはラバンが作った『蘭』という踊りを Dussia Bereska が踊っている映像や、ストックホルムの Jenny Hasselquist が踊る『花の一生』みたいなものも入っていて、『囚われ人』もそこに並んでいるのだが、こういうダンスの圧倒的な素朴さ(上半身裸で座って両腕と胴を左右対称にくねらせて「蘭」だとか、腕と身をよじりながら伸び上がらせていくだけで「花が咲く」だとか)が、なぜかやけに輝いて見え、実際踊りとしてもかなり良いものになっていることに動揺してしまうのだった。そしてこれらの花のダンスを見ながら、何となく頭に浮かんだのは前に「踊りに行くぜ!!」に出ていた伊波晋の、やはり舞台にポツンと立って手で花を咲かせるという、素朴といえばあまりにも素朴な作品のことだった。今のいわゆる「コンテンポラリーダンス」というのは、基本的にはやはり90年代のヨーロッパからの影響を受けて何となく流れが出来てきたという感じだけれども、ヨーロッパとはかなり違う現在のような状況になってからの、これといって何の理論もない、先行する何かを批判する意識もない、ただ体のリアリティとか個人的な関心とかから生まれてきているダンスは、『蘭』とか『花の一生』とか、あるいはダンカンやラバンのような時代の人々のそれにあまりにも似ていないか、つまりこれって一種の「表現主義」じゃないか、ということなのだった。
それで、ドイツの表現主義のダンスの特徴としてはやはり音楽性が強いということで、これに対してアメリカは演劇の方に傾きがちである。リモンにしてもホートンにしても、もちろんグレアムがその最たるものだが、どうしてこうも芝居臭くなるのかと思うが、ドイツのモダンとアメリカのモダンの違いについては、ハンヤ・ホルムが1935年に書いたエッセイが少し違う角度から分析している。ホルムによれば、ドイツとアメリカとでは空間に対する意識が違う。ドイツの人は、長い歴史の中で、外的な力からの働きかけを多く経験しており、そういう世界観のもとで個人と世界の関係を見ている。それに対してアメリカの人は、自分の外はすべて自分の働きかけがおよぶ世界なのであり、純粋に能動的たり得る。だから、何もない空間に、抽象的に構想された道具をあれこれ運び込んで、それの組み合わせで何かを作り出す。テクニックはテクニック、コンポジションコンポジション、テーマはテーマ、と別個に考えられた要素をそれぞれ洗練させて、組み合わせる。ドイツのダンスはそうではなく、一切が体の内側から有機的に生まれて来るのであり、身体と空間はそもそも初めから切り離して考えることはできず、個々のダンスにおいて両者はある必然的な仕方で結びついている。ホルムの説明は、確かにかなり俗っぽいが、それなりに的を射ているようにも思う。とりわけアメリカのダンスは体とその外部を切り離している(=ダンスをスペクタクルとして見てしまう)という指摘は、モダンダンスが演劇に傾いていったことも、それ以降の流れも、また現在のNYのダンスなども含め、うまく説明してくれる気がする。
こういう環境因的な考え方は一見古めかしいけれども、決定論と取り違えさえしなければ客観的な視点をもたらしてくれるものだと、最近はよく考える。インドネシアのSが、インドネシアは島ばかりだし、それにジャングルで街と街が隔てられているから、多様なダンスが育ってきた、と説明しながら、「エコロジー」という言葉を盛んに強調していたのが印象深くて、その頃から、(少し前にかなり売れたという)左に90度回転させた日本地図が脳裏から離れない。北を上にするのではなく、東を上にして、中国の上に、左右に日本列島が広がっているという地図。日本は小さい、あまりにも小さい列島であり、中国の沖にちょっとした縁飾りのようについているいくつかの島である。海岸線で囲まれて、空間は内側へ向かって萎縮している。さらには、海を介しつつ外側へ向かって開かれているというイメージではなくて、内側へ向かって萎縮しているというイメージを選んだのもまた日本人であるだろう。インドネシアのような、常に異文化と接しながら生きざるを得ない国に比べ、日本は見事に、同質性の意識を教育によって行き渡らせてきた。なぜ東京の人と大阪の人が互いに他者であってはいけないのか、なぜ同じ電車に乗り合わせただけで互いに何の緊張感もなくなってしまうことができるのか、それは国民教育のおかげなのだ。