久しぶりに学会発表の仕込み中。イヴォンヌ・レイナー研究の一発目なのだが、レイナーは70年代に映画に転向したため(ただし99年からダンスにも復帰)、先行研究を見ると映画理論にもまたがっていることが多くて、下手に深追いすると他のポストモダンダンス関係からどんどん遠のいていってしまう。レイナーに比べると語られることが少ないシモーヌ・フォルティやデボラ・ヘイについても深めたい。ともあれこうして研究を進めながらつくづく思うのは、アメリカの人たちも本当に「身体」を考えていたんだということ。最初はかなりコンセプトに偏った、大雑把なことをしているように思っていたが、舞踏に劣らず病気とか生死とかも話題にあがってくるし、要するにアプローチが違うということなのだ。ただ舞踏よりずっと強いのは、視線や視覚に対する意識。別の言い方をすれば、スペクタクルとの格闘が熾烈なのである。それと社会性。