アルディッティ・カルテットは前半の細川と西村が素晴らし過ぎて、後半のケージ&白井剛は最初なかなか入れなかったのだが、白井独特の過剰なまでの「デリカシー」がだんだんケージの音楽の優しさ、温かみと入り交じって、何ともいえない濃い空間が生まれた。演奏中のヴィオラの肩に触れてしまうところ、さらに髪にも触ろうとして触らない、でも触りそう、な瞬間など本当にドキドキした。ふわふわと浮かぶヘリウム風船に触ることと、「世界最高峰の現代音楽カルテットのヴィオラの人」に触る、「異文化」に素手で触っちゃう、ということの近さは、単なるアナロジーを超えたものがあった。
しかし気がついたら8月が終わっている。何かのピークが決定的に過ぎ去ったという感慨が無条件に込み上げる「8月31日」の比類ない侘しさはおそらく(地域にもよるが)誰しも小学生の頃に心に刻み込まれた。大体8月半ばに帰国してから後、白州が終わったら書き物に追いまくられるばかりで、挙句に8月31日締切という夏休みの宿題みたいなものがあったせいで余計に空しい。
ところで最近、人に会う度に「大きくなった」「太った」と言われる。事実だが立て続けに言われると流石に閉口する。帰国前はむしろ痩せていたのだ。帰国したら太った。それと、NYにいたせいか体型を隠したいという意識がすっかりなくなってしまったということもある。まあ良し。