昨日ミーティングの合間にHさんと話していて、「天才」の話になった。Hさんのいう「天才」とは、直感だけでものを作ったり行動したりしているにも関わらず、結果的にその時代や社会の状況を鋭く捉えてしまったり、誰も想像しなかったような、しかし誰もが漠然と待望していたような、新しいヴィジョンを提示してしまったりする人のことだ。理屈をこねる人々の地道な積み重ねがものの一瞬で追い越されてしまい、むしろこの天才の非論理的な直感が論理的な人々の地道な作業を牽引していくことになったりする。こういうことは今まであまり考えたことがなかった。というか、そういう人を「天才」と呼ぶのだという発想がぼくにはなかった。天才じゃない人は、勉強でもするしかないが、それだけじゃなく、天才の直感を見逃さないよう常に注意している必要もあるし、天才の直感をできるだけ賢明な仕方で受け取れるよう努力しなくてはいけないだろう。それでももちろん、天才の方がはるかに苦しいに違いない。なぜなら天才には自分の直感を論証することも、検証することもできないのだ。そこには何の理由も規範もない。「合理的に裏付ける」なんていうのは、本当は甘い考えなのだ。