[[]]午後から出かけ、打ち合わせ二件。来年2月に参加する「第3回アジアダンス会議」の本チラシが完成した。美しく斬新。どこにも書いてないけど今回ぼくはファシリテーターという形でも関わっていて、企画やコンセプトの面でもだいぶ知恵を絞った。アジアの人々からは別にアジアとは思われてない日本でアジアをめぐって議論することの意義は、最初すぐには見えてこなかったのだが、日本といっても純粋な「日本人」なんて存在しないのだと考えた辺りからどんどんほぐれていった気がする。日本の歴史は、同化政策、差別の隠蔽、植民地化などいくらでも経験して来ているのだし、本当は雑多な人々の寄せ集めなのに、いつの間にか日本人は皆同じ日本人だと考えることに馴れている。そういう感覚に亀裂を入れながら、自分たち個々の身体を改めて遠くから捉え直すようなことができればと思う。
週末から年末にかけて関西へ遊びに行くので、逆算したらあと二日弱でいくつか原稿をあげないといけないことに気づき、愕然とする。
この前、テレビで見た奈良公園のシカの話がどうしてもしたくて、方々でしている(今日Gさんに「動きフェチ」「体フェチ」と言われた)。シカがどうしたのかといえば、それはレポーターの周りにわらわらと群がって来ていたのだが、そこには例えばイヌがそうする時のような騒がしさが全く欠けていて、しかしそうかといってウマやウシのような茫洋とした居方をするのでもなく、ただ独特の「静けさ」、あからさまに存在していながらあたかも存在していないかのような気配のなさ、無音の臨在感が醸し出されているのだ。遠くで孤独にどこか遠くを振り返りながらじっと佇んでいる姿なども、なぜか「シーン」という音が聞こえて来る。それがどこから来るのかといえば、やはりあの体型というか、諸部位のバランスと機構ではないかと思う。