この前フリーペーパーの『Cut In』58号が届いて、この新聞を立ち上げた井上二郎さんが12月に亡くなっていたことを知った。井上さんがこの新聞を準備していた時、初めてメールをもらって、2002年1月のシアタートラムで麿赤兒の独舞を見た後に会い、近くの喫茶店「伽羅」で話をして、創刊号(3月)に短い文章を書いた。その後、なぜかまた大駱駝艦なのだが、2003年夏のアメリカン・ダンス・フェスティヴァルに大駱駝艦が出演した時、ぼくは彼らに同行させてもらって、ただ日程が合わずADFの後のNY公演には行かれなかったので、井上さんもADFの途中からツアーに加わることになり、ノース・キャロライナ州ダーラムの広いホテルの一室で一晩か二晩、同宿したこともあった。井上さんは「ぼく同性愛じゃないんで」とかいちいち断ってくれて、逆に動揺したりしたのだが、部屋のキッチンで結構しっかり飲みながら話して、何を話したかは覚えていないが、楽しかった。確かその時、井上さんはネグリ/ハートの『<帝国>』(2003年1月刊)を読んでいて、重いのに出先まで持って来ていて偉いと思った。ちなみにぼくは何となく岩波現代文庫のマーク・ポスター『情報様式論』を持って来ていて、あまり進んでいなかったのだが、井上さんは「そういうの、も読むんだ」と言った。たぶん深い意味はなく、ただあまり聞いたこともない本だな、というような感じだった。58号の追悼記事(執筆は前嶋知明氏)によると、この年の12月から調子が悪くなったようで、その後何度かお会いしたが、だんだん姿を見かけなくなった。2005年の10月にぼくがNYへ行った時、お知らせメールには返事をくれていたが、帰国後Oくんに聞くと井上さんは目が見えなくなったとのことだった。それほど親しい間柄というわけでもなく、適度に距離をもって接していたので、あまり立ち入ったことで連絡を取るのも何だか憚られ、そんな風にしているうちに訃報を読むことになってしまった。『Cut In』には何度も書かせてもらったけれども、正直うまく書けた記事はあまりない。いきなりDA・Mを絶賛した記事がごく一部で結構受けたらしい、というのがあったくらい。ともあれ『Cut In』は紆余曲折ありながらもいまだに月刊で続いている。井上さんの追悼記事が載った58号は保存用のファイルに入れた。