かれこれ二ヶ月以上ずっとのた打ち回り続けて、結局論文は期日までに完成できなかったし、もう一本の原稿も遅れに遅れて、やっと何とか終えた。こんなことなら、11月締切(そして刊行は2008年夏)の文章にもそろそろ手をつけて、夏のうちに第一稿ぐらいはあげるつもりでいた方がいい。「<東京の夏>音楽祭」の、ハイチのヴードゥーのダンスのチケットも無駄にしてしまって痛かった。花上直人も見逃してしまった。
それでも黒沢美香&ダンサーズは五枚限定の毎日券をゲットしたので、連日通う。昨日の「偶然の果実」は、ぼくが見続けていた2000年〜2002年の大倉山記念館の頃とは比較にならないくらい「動的」というか、「楽しさ」に向かって開かれていた感じがして、ダンスの人間くさいところから、身体くさいところまでビッシリ詰まっていた。他の人が踊っていて、それを見ていても見ていなくても、舞台上の至るところで誰かが何かしたくなって動き出す。触発、あるいは挑発。行為が「面白さ(興味、interest)」以外の何にも基づいていないところが、破壊的で、感銘深かった。特に今思い出すのは二箇所で、一つは終盤近くに選曲ブースの奥でりな・りっちが静かに大胆に宙へ伸び広がっていったところ、もう一つは中盤で木佐貫邦子の前に積み重ねられた椅子と椅子のバランス具合を背後から真剣にためつすがめつしていた黒沢美香の視線。特に後者はショックだった。2時間の最後にサエグサユキオが「Fin」と書かれた幕を垂らすのを久しぶりに見て、ああこうだったと思い出したら、同時に、大倉山の舞台の上手には柱時計がかかっていたことも思い出し、脳内の映像では、その時計は9時13分から18分ぐらいを指していた。当日パンフで黒沢美香さんが書いているように、ぼくが毎回一番に予約を入れていたというのは、ただどこかでチラシを手に入れたら忘れないうちに予約して手帳に書き込んでいたからに過ぎないのだけれども、「また武藤から一番に予約が来た」と「挑発」に加われていたなんて(つまり観客として「偶然の果実」に参加できていたなんて)嬉しい。終演後、原稿から解放された身で、FさんとNさんと飲みに行く。Nさんの「偶然の果実」レヴューはやはり独特で、起こったことを落ち着いて余さずつかみ直すこのゆとりを、ぼくとしては盗みたい。
来月半ば、タイ行きを決定。バンコクで、タン・フクワンが企画した Live Arts Bangkok というイヴェントがあり、しかも同じ日に「踊りに行くぜ」のバンコク公演も重なっていて、そうしたら日本から出かける人も続出し、結果的にこの前の「アジアダンス会議」に参加した人の実に大部分がバンコクで顔を揃えることになった。