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手塚夏子を見たせいか、この前の紀尾井ホールで配られた小笠原の観光案内パンフレットの中にあった魚の写真、より正確にいえば、魚を釣り上げている人の写真が異様なインパクトで迫ってきた。とにかく魚がデカいのも気味が悪いが、その(死んだことさえ感じさせない)魚の無表情ぶりと、釣り上げた獲物を嬉々として抱えて写っている人たちの笑顔のコントラストが壮絶で、何しろ前のページにはホエールウォッチングだのイルカと泳ぐだのといったイヴェントが紹介されていて、しかも「イルカと目が合えば、世界観が変わってしまうかも」とか書かれているものだから、ならばこの新鮮極まりないイシガキダイとか巨大なカンパチの目もじっくり見つめてしまおうというものだろう。ツルツルして、内側からパツンパツンに張った魚の皮膚、瞼のない目。30センチくらいの赤いカサゴの口がカパッと開いて、そこから糸が伸びて釣り下がっている、その竿をもった子供が笑っている。魚と人を分け隔てなく各々「身体」として見るならば本当に世界観がズレてしまいそうで怖い。この身体はこのような姿で生まれ、釣り上げられ、他方の身体はこのような姿で生まれ、異形の身体を釣り上げている(釣竿や糸はカサゴの身体を巧みに釣り上げられるよう計算されており、カサゴの身体はヒトの道具の道具性にピタリとフィットした)。釣り、釣られるこの関係を、ことによったら逆転する可能性もあったかも知れない他者とのコミュニケーションとして想像してみる。空気に触れてグニャグニャとよくわからない形状になってしまったアオリイカを両手で持ち上げている少女もまた笑顔だった。