久々にユーロスペースに行ったら知らない間に移転していて、あわてて歩きまくった(今年一月にアップリンク・ファクトリーへ行こうとした時と同じ)。カウリスマキの新作は四年ぶりだが、ほぼ真っ直ぐダメになっていく男の人生の中の、ほんの微かなさざ波みたいなものを見せようとしているみたいで、78分の中で約2分30秒くらいしか心が揺さぶられる箇所がない。ハッと一瞬現われる美しい場面の、美しさよりもその短さの方が記憶に残る。なぜか観客の平均年齢がとても高かった。
その後、ブックファーストでタイのガイドブックを物色。滞在も短いので「タイ」じゃなく「バンコク」のにした。最大の楽しみは食べ物、あとは王宮と寺院、ダンス。Fの話では、ムエタイの試合前に選手がやる踊りも見たら面白いとのこと。
夕方から浅草で会議、後に飲み。ここのところよく飲む。
昼間、テレビで長崎平和式典を少し見た。もちろん平和は大事に決まってるが、こういうのと例えば従軍慰安婦問題なんかはまず同時には扱われない。日本人は、アメリカに対しては「被害者」、アジアに対しては「加害者」として、ただ感情に訴えてその場ごとの体裁を取り繕うから、62年も経つのにいまだに「平和」を祈ったり、何度も何度も「謝罪」ばかりしている。この二枚舌を使い分けることで日本という国は姑息にバランスをとりながら生き長らえているので、別に平和にも貢献してないし、いつまでもアジアと対等に付き合えない(憲法九条なんて責任放棄(=米軍支持)以外の何ものでもない、どうして再軍備をして、なおかつそれを凍結すると主張できないのだろう)。日本の被害者性と加害者性を整合的に、つまり突き詰めていうなら世界史的規模で捉えれば、平和を祈ったり謝罪したりなんかではとても済まないはずだ。例えば加藤典洋敗戦後論』みたいな「文学」を読むと、戦後だけを考えて日本の主体性を問題にしようとするために、日本なるものを規定している外界に目が行かないで、あろうことか戦争責任を内面性とか実存の問題に置き換えて勝手に悩んでしまうナルシズムにうんざりさせられるが(どこまでも世界観が貧相)、やはり少なくとも幕末の開国までは遡らないとこの国の置かれている状況は語れないように思う。つまり日本は150年くらいずっと変わってない。

近代日本のナショナリズムはその発生を、いうまでもなく幕末におけるヨーロッパ勢力の衝撃に負うている。〔…〕/ヨーロッパは近世民族国家が生成する前にすでに一つの普遍主義(ユニヴァーサリズム)をもつていた。ローマ帝国がまずその礎をきずき、それはやがてローマ・カトリック(普遍)教会と神聖ローマ帝国に象徴されるヨーロッパ共同体の理念――corpus christianum――に受けつがれて行つた。ルネッサンス宗教改革にはじまる近世民族国家の発展は、この本来一なる世界の内部における多元的分裂にほかならなかつた。従つてナショナリティの意識の勃興は初めから国際(inter-national)社会の意識によつて裏付けられていた。主権国家間の闘争はこの国際社会の独立の構成員間の闘争であるということは自明の前提であり、さればこそ、グロチゥス以来、戦争は国際法の中に重要な体系的地位を占めてきたのである。〔…〕/〔これに対して日本の攘夷思想の特徴は〕第一には、それが支配階級によつて彼等の身分的特権の維持の欲求と不可分に結びついて現われたところから、そこには国民的な連帯意識というものが稀薄で、むしろ国民の大多数を占める庶民の疎外、いな敵視を伴つていることである〔…〕。第二に、そこでは国際関係における対等性の意識がなく、むしろ国内的な階層的支配(ヒエラルキー)の眼で国際関係を見るから、こちらが相手を征服ないし併含するか、相手にやられるか、問題ははじめから二者択一である。このように国際関係を律するヨリ高次の規範意識の稀薄な場合には、力関係によつて昨日までの消極的防衛の意識はたちまち明日には無制限の膨張主義に変化する。そこにはまつたく未知なるものに対する原始的心情としての恐怖と尊大との特殊なコンプレックスが当然に支配する。(丸山眞男『増補版 現代政治の思想と行動』、未来社、1964年、155-7頁)

要するに日本と欧米、日本とアジアという二つを切り離して考えていたらダメなのであり、そもそもそういう腑分け自体が「幕末におけるヨーロッパ勢力の衝撃」へのリアクションに由来するものなので、あくまでも欧米/日本/アジアの三極構造という図式の中で、構造的に日本がどういう位置にあるかということからしか、日本の主体性を演繹することはできない。