『舞台芸術』12号、夏休み前に図書館にこもって書いた「アジア」論がようやく。戦前の日本から今年二月のアジア会議までをつないで、異質な素材を一つにまとめるのに苦労した結果、戦前の日本/アジア関係についてはたくさん切ってしまった(とにかく誰もやってない領域なので、調べるのは大変だが面白くて膨らんでしまう)。最近完全にアジアに入れ込んでいるけれども、これは単に少し目先を変えてアジアアジアと言い立てているわけではなくて、日本という場所で、どこか遠くへ目を向ける以前の自分の身体(「身体」とは目の手前にあるもののことだろう)、あるいは既に遠くへ目を向けることをやめてしまった身体を改めて切開するために、世界史的視野を得ようとする場合の必然なのだということも書いたので、アジアの伝統芸能にもポップカルチャーにもそれ自体としては別に興味ないという人(ぼくも)にこそ読んでもらいたい。つまりあくまでも(日本の)「日常性」批判としてアジアを見るということで、新奇なレパートリーとしてアジアも押さえようってことでは全然ない。その意味では、これはぼくのジャドソンへの興味ともつながっていて、だから例えば、来年はインドネシア・ダンス・フェスティヴァルのキュレーションに関わっているのだけれども、ぜひデボラ・ヘイをインドネシアに呼ぼうなんていうことも画策している。日常性のレヴェルからダンスのレゾン・デートル(存在意義)を問うジャドソン的な考え方をインドネシアの今の(スハルト以後の)振付家たちに紹介してみたい。日本には、これと逆に、「アジア」(というかマクロな政治性・社会性の参照枠)が必要だと思う。
8月はバンコクに行って、その時のことはここに全然書けなかったけれども、今月末に報告会をやることになった。アジア会議から派生した「アジアダンス勉強会」というのを作って、セゾン文化財団との協同で、ちょっとしたイヴェントっぽくする。バンコクの報告と合わせて、今回は韓国の戦後舞踊史のレクチャーもお願いすることができた。韓国のモダンダンスは、石井漠→崔承喜から始まっているので、日本とも関係が深い。ただ単に「韓国」を知るのではなくて、日本との関係において知れば、「日本のダンス」を違った角度から考えられるようにもなると思う。ちなみにバンコクでは、アジア会議にも来てもらったパプアのジェコ・シオンポのダンスが圧倒的に凄くて、これもぜひ来日公演を実現させたいところだけれども、とりあえず今回はヴィデオで。

アジアダンス勉強会 vol.1
−セゾン文化財団 アジア芸術交流・舞踊家派遣事業関連企画−
「韓国の舞踊史とタイのフェスティバル、ライブ・アーツ・バンコクの報告」

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財団法人セゾン文化財団では、この夏、バンコクで開催されたパフォーマンス・フェスティバル「ライブ・アーツ・バンコク」に振付家山下残さんを派遣しました。残さんは、タイの若手ダンサーと共同して作品を創作発表しました。これをきっかけに、本年2月に開催された第3回アジアダンス会議の参加者を中心とするアジアのダンスについての自主勉強会「アジアダンス勉強会」と協力して「ライブ・アーツ・バンコク」で観たさまざまな公演の報告と韓国の舞踊史についてのお話を伺う勉強会を開催することになりました。自由にダンスについて話が出来るよう交流会の時間も設けました。インフォーマルな勉強会ですので、お気軽にご参加ください。

■内容
14:00-15:15 セッション1 韓国の舞踊史 (講師:崔柄珠 チェ・ビンジュ)----
 昨今では、日本でも、韓国の振付家の作品を見る機会は少なくありませんが、そのダンスがどういう歴史からでてきたものなのかは知られていません。けれども、どのような背景からそのダンスが出てきたのかが分からないと、それぞれの作品にアプローチする方法を見つけるのは、なかなか難しいことです。そこで、今回は留学生としてお茶ノ水女子大学で博士号をとった崔さんに韓国のダンスの歴史についてお話を伺うことにしました。現在の韓国の振付家の作品を理解するためのきっかけにしたいと思います。

15:30-17:00 セッション2 ライブ・アーツ・バンコクの報告-----
 この8月にタイ・バンコクで開催されたパフォーマンスフェスティバル「ライブ・アーツ・バンコク」に日本から山下残さんが参加し、タイのダンサーを起用した作品を発表しました。国際共同制作という形式は、今ではさほど珍しいものではないですが、短い稽古期間という厳しい条件の中、はじめて会ったダンサーとどのように意思疎通をして、作品を作っていったのかを伺いたいと思います。また、このフェスティバルには、9ヶ国のアーティストによる10作品が上演されました。日本から公演を見に行った勉強会メンバーが、どのようにアジアのコンテンポラリーな表現を受け取ったのかを報告します。
http://www.seameo-spafa.org/files/programme.pdf

17:00-18:00 交流会

■日時 2007年10月27日(土)14:00-17:00(17:00より交流会)
■開場 森下スタジオCスタジオ 03-5624-5952 地下鉄都営新宿線都営大江戸線森下駅」下車A6出口 徒歩5分
■参加費 無料 (但し、メールで事前申込み要、定員30名、セッション毎の参加可、希望時間帯を記載のこと)

■お申し込み、お問い合わせ adc_2007@hotmail.co.jp アジアダンス勉強会(担当:後藤)
*お申し込みの際は、件名を「10月27日勉強会参加希望」とした上でお名前とふりがな、ご所属、e-mailアドレスをお送り下さい。折り返し、確認のメールを差し上げます。

□主催:アジアダンス勉強会 財団法人セゾン文化財
□助成:アサヒビール芸術文化財

ところで先週の木曜の「異文化理解講座(インド)」は、北インドの歌舞劇「ラース・リーラー」に関するレクチャーだったのだけれども、ヴィデオがなくて、でもその代わり、神話を背景にした世界観をめぐる話が面白かった。クリシュナが「人格神」として信仰されている、というのがどういうことか。子供が生まれたら、その子供がクリシュナの化身だということになるとか、そしてそのクリシュナの化身である子供が悪戯をするとか、そういう風に、日常生活と神話世界が二重になっている状態。「文化の多様性」なんていうけれども、本当に「異文化」なことっていうのはものすごく根が深いものだと思った。簡単に「理解」したりはできないし、はたまた「流用」だの「受容」だの、「抵抗」の拠点だのといわれる時の「文化」なんて、こういうことに比べたら全く浅い表層に過ぎないようにすら思えた。そして、自分にも、そういう風に深いところで自分の感受性や考え方を規定しているもの、外から見たら強烈に「異文化」な部分があるのだろう、そしてそれは自分にはわかっていないのだろうということを考えた。
今日は、後期から始まった早稲田の演習。イタリア地域研究といった感じの内容で、出だしとして、恐れ多くもイタリア映画史の概説をやった。ファシズムからネオレアリズモへの流れ(ロッセリーニ、初期ヴィスコンティ)。それからフェリーニヴィスコンティ、アントニオーニ。さらにマカロニ・ウエスタン(レオーネ)、ダメ押しでホラー(バーヴァ)までを一時間強で。バーヴァの『ヴァンパイアの惑星』の宇宙服(?)はすごい。ライダーっぽい、黒に黄色の細いラインで、襟が異様に高い。宇宙船の中で襟は要らないと思うが、イタリアンとしかいいようのないデザインでやたらとカッコいい。