早稲田のイタリア演習の後、上野へ移動し、芸大美術館で「岡倉天心」展。岡倉展は二年前にもワタリウムでやっていたけど、今回のは美術教育に的を絞って芸大自体の歴史と絡めてある。奈良時代の服装が制服になっているのとか写真で見て、そのアナクロニズムの違和感をすごく生々しく受け止められたことが個人的な収穫。日本画はもともと単純に好きだったのだけど、天心の『東洋の理想』を読んだ直後だったので、色々な様式や技法が積み重なって同居しているその「ヘンさ」ばかり気になってしまう。むしろ蒔絵とか漆とかの工芸に初めて目を開かされた。いくら見ても見足りないから、いつまでも見てしまう。そこに何も理解すべきものはないのに、角度を変えては、ためつすがめつしてしまう。動かない対象をじろじろ見るのは何かいやらしいが、そうする。『東洋の理想』は、これまで色々語られてきた本ではあるけれども、ぼくは読みながらそこにエドゥアール・グリッサンとかを重ねたりしていた。ナショナリズムは、少なくとも二十世紀的な形では、もう先が短いだろうと考えると、やはり十九世紀と現在が近く思える。とにかく十九世紀にリアリティを感じる。昨日から Rustom Bharucha, Another Asia: Rabindranath Tagore & Okakura Tenshin(Oxford UP, 2006)を読み始めた。タゴールはインド古典舞踊の復興にも重要な役割を果たした人で、バルーチャならその辺りもフォローしているかなと期待したのだが、出ていない。(ちなみにバルーチャは今回この展示に合わせて来日するらしい。)美術館を出て、東京文化会館の音楽資料室で調べもの。石井漠関係の本を洗う。石井漠のアジア舞踊に対する認識は、わりと普通にアジア=近代以前という感じのようだ。あとジーン・モリソン・ブラウン『モダンダンスの巨匠たち―自ら語る反逆と創造のビジョン』('89、同朋舎出版)という本に、レイナーの「『トリオA』の分析」の和訳が収録されていることを発見。知らなかった。ただし必ずしも良い訳ではない。赤坂へ出て、インドのアスタッド・デブーのダンスを見て、終演後に声をかける。8月のバンコク以来。