10月27日(土)、「アジアダンス勉強会 vol.1」森下スタジオにて。チェ・ビョンジュさんの韓国ダンス史は、「韓国化」から「脱韓国化」への流れを主軸にした明快な説明。何といっても、韓国のダンスを「異文化」として、距離を置いて見るということを自分がいかに怠ってきたかと考えさせられた。これまであまり程度の高い紹介のされ方をして来なかったせいもあり、「韓国のダンスは日本の十年遅れ」みたいな認識が漠然と共有されている部分もあったと思うが、そもそも歴史が違うんだから、単純に「十年遅れ」みたいなことになるわけがないし、少なくともそう考えることが認識の上での前提になるべきだと思った。韓国/朝鮮の歴史についてもっと知っていたら、レクチャーを聞きながら気づくことももっと多かったと思う(現代史くらいはざっと予習しとこうと思っていたけど時間がなかった)。異質なものを既知のパターンに当てはめて解釈するのも、場合によっては有効だが、同じ時空間を共有している限りは、「相互作用」ということも考える必要がある。チェさんの話を聞きながら、テッサ・モーリス=鈴木『辺境から眺める―アイヌが経験する近代』('00、みすず書房)[amazon]を思い出していた。「たとえば、哲学者・梅原猛の最近の著作では、アイヌ縄文時代の狩猟採集文化の担い手、知られているなかでも最初期に属する日本文化の担い手であると定義される。さらに、この文化は逆に、生態系の重要性が見失われたわたしたちの物質主義的な現代世界がかかえる困難にたいする解決策を含んでいるとみなされる。『採集文化から知恵を学ばないと、人類は生きていけない時期にきているのではないか。こういう意味で、狩猟採集文化の一つの形態としての日本の縄文文化というものは、たいへん大きな意味をもっているだろうと私は考えるのです。その縄文の文化がもっとも残されているのが、アイヌと沖縄の文化だと思うわけです〔…〕』」(33頁)。しかし実際にはアイヌは十八世紀までは農業技術も金属加工技術ももっていた。それが和人商人の介入によって、とりわけ、日本から中国に輸出されるイリコや国内消費向けの干ニシン(綿栽培用の肥料)の需要増大に伴って、「儲けの多いニシン業が農業から労働(力)を引き寄せ」るということが起こった(58頁)。さらには松前藩の軍事力もあったし、日本の金属加工品の流入もあった。つまり「アイヌ社会を『狩猟採集』社会の原型として再構築したのは、まさに初期近代の発展過程にほかならない。〔…〕アイヌ農業の衰退は、徳川期日本における農業技術の発展と同じひとつの過程をなしていた」のである(61頁)。そして「この過程を経たからこそ」、明治の日本人はアイヌに農業を「教え」、「土人」と見下すことができた。同様に、梅原猛アイヌから「知恵を学」ぼうなどと言うことができた。これは極端な植民地化の例だけれども、いずれにしても、今ある「現在」を単純に「今ここ」として見るのではなく、そこへと至るまでの歴史を含めて見ることの重要さは、コンテンポラリーダンスを考える上でも当然当てはまる。例えば「韓国化」の時期の韓国のダンスや、今の東南アジアのダンスは、日本の「新舞踊」と似た現象に見えるけれども、それぞれ時代も背景も違う。波形は似ていても、ズレながら並行して同時に走っているのだということ、しかも多かれ少なかれ相互に影響しているかも知れないということを考える。
「勉強会」後半は、ライヴ・アーツ・バンコクの報告。上演作品を各3分前後に編集したものを上映してコメントをつけた。会場との質疑応答があまり出来なかったのが残念。さらに山下残さんによるレポート。タイのダンサーとのコラボレーションについて。これも質疑の時間が取れず。全体に、もう少し締まったプログラミングを事前にしておくべきだった。次回は、どこかまた別の国(または地域、時代、ジャンルなど)のダンスの歴史について「勉強会」ができたらいいと思う。
10月28日(日)、原稿を書きながらも「踊りに行くぜ!!」前橋へ。山賀ざくろの振付作品はかなり面白かった。彼の作品はしばらく見る機会がなくて、女装ネタも初めて見たのだけど、女性ダンサー3人と一緒で、色々な角度から色々なことが言えるパフォーマンス。山田知美も、後で話を聞いたら全然コンセプチュアルではなかったけれども、見ている間は一種の知的な興奮を覚えた。モノクロームサーカスもクオリティが高くて面白かったのだけど、スケールの小ささと釣り合いが取れていなくて、何ともいえない違和感もあった。今は仕方なくマイナーに「甘んじて」るだけで、別にマイナーを「選択」してるわけじゃなさそうな辺りが、共感できない理由。鈍行で本を読みまくりながら、無理して出かけた甲斐はあった。帰りはYさんと一緒にまた鈍行。劇映画よりドキュメンタリー映画のが面白い、など。
10月29日(月)、夕方から有楽町でGさんYさんと打ち合わせ。沖縄と、来年以降のプロジェクトを練る。ぼくはアイディアを出すだけ。Gさんのノウハウがなかったらとても形にはならない。適当に入ったカフェながらハウスワインとバジルのパスタはなかなか美味かった。早めに帰宅して仕事。
10月30日(火)、早稲田のイタリア演習。ナポリの身振り言語について、などなど。深夜に原稿を送信。
10月31日(水)、ヴァーホーヴェンインビジブル』(00年)をDVDで見る。アイディアは色々あるが映画として面白くない。高橋洋のこれを絶賛する文章(フルチン云々、『映画の魔』(04年、青土社)[amazon])の方が面白かった。
11月1日(木)、本郷にて勤務。タゴールの舞踊関係の言説を調査。夜、国際交流基金のインド講座。Nさんに会う。今日は北インド、バナーラスのラーム・リーラーというパフォーマンスについて。聞いているうちに、リチャード・シェクナーの名前が何度か出てきて、そういえば『パフォーマンス研究』(98年、人文書院)[amazon]で読んだことあるやつに似てるなと思って、帰って調べて見たらやっぱりそうだった。この本はシェクナーのテクストを何本か集めた日本独自編集版で、当時は「パフォーマンス」といっても純粋に美学的なパフォーマンスの概念しかなかったので、読んでいてもあまり興味が湧かなかった。今開いてみるとすごく面白そうに見える。シェクナーは『舞台芸術』の8号[amazon]のインタヴューで、「わたしが最初にニューオリンズで逮捕されたのは、コーヒーショップで黒人の隔離セクションでコーヒーを注文したからでした。わたしはこの黒人の友人たちとコーヒーを飲みたいんだ、と言ったんです。もちろん喉が渇いていたわけではなく、主張をするためです。で、それが正確にいつのことだったかは覚えていませんが、あ、これは演劇だ、と思ったんです。非等身大の何かを表出するような象徴行為としての演劇ですね。もちろん、これは「現実の演劇」であり、「現実に」われわれは社会を変革している、という。演劇的な行為に参加しているわけだが、虚構ではないという意味では演劇ではない」と語っている。この辺りのことに今とても興味がある。ジャドソンは「社会を変革」しようとしていたし、90年代以降のフランスのフォロワーたちもその意識がある。しかし日本のダンスには、ごくごく一部にしかない。パフォーマティヴィティということ。
それにしてもとうとう11月になってしまった。今月中にクリアしないといけないものを数え上げると血の気が失せる。