11月2日(金)、日大の授業は学園祭で休み、家でゆっくり仕事ができると思ったら夜にベルギー大使館でリスベット・グルウェーズがパフォーマンスをするというので出かけることになり、ついでなので先に駒場の図書館へ行って資料を集める。合間、Mさんと電話で来年の福岡イヴェントの打ち合わせ。九州は初めてなので楽しみ。麹町へ移動、ベルギー大使館へ。大使館の建物っていうのは何かある共通のスタイルがある気がする。Kさん発見。その友だちのWさん、Dなどとも話す。開演前に建物の中をうろうろ見ていたらダンサーのIさんSさん。ぼくの公演スケジュールを見て来たのだと言ってくれる。ヤン・ファーブルの時に埼玉に来なかったグルウェーズが自分のユニットでいきなり来て無料公演というのは、数日前、いつもなぜかブリュッセルから回って来るMLを流し読みしていて目敏く(我ながらよく気付いたと思う)発見し、即座にアップロードしたのだった。パフォーマーにとってはあまり良い環境ではなかったものの、見ていてコンセプトが読み取れる、しっかりしたパフォーマンスで良かった。
11月3日(土)、plan Bで久高島のドキュメンタリー。ドキュメンタリーというものにおいては、芸術性と政治性というものはどうやっても切り離せない(区別すらできない)、芸術的に優れたドキュメンタリーは政治的にも優れている、芸術的にダメなドキュメンタリーは政治的にもダメである、と思った。さいたまへ移動して、劇場へ向かう途中でKさんに会う。衝撃波の話など。維新派を見るのは三回目で(ヴィデオでは他にも見てるけど)、新国立でやった『ノクターン』や、次の南港でやった『キートン』よりも、良いと思った。『ノクターン』や『キートン』なんかは、美術や空間のスケールの大きさの目眩まし(幻惑)的な効果に依存している感じがして、何だかなーと思っていたのだけれども、今回のは、舞台上でイリュージョンが立ち上がるその仕組み自体を楽しめるようになっていたように思う。イリュージョン自体ではなく、イリュージョンが起きるということに対して、舞台というもののそもそもの面白さと不思議さを感じさせられた。初っ端の、役者と映像の絡みなんかいきなり唸らされたのだけど、ぼくの隣の人は開始後3分で眠り始め、あとずっと最後まで寝ていたような気がするし、観客の拍手も明らかに少ないと思った。拍手し過ぎだろうと思うことはよくあるけど、拍手が少な過ぎだろうと思うことは珍しい。