インド講座。パキスタンとの国境沿いのラージャスターン州西部、タール沙漠の芸能集団というテーマで、特に神話〜王権〜現在をたどって個々人の系譜を歌うマーンガニヤールという楽師集団について。歴史と神話を媒介にして、人と人を関連付ける、さらに人と神をも関連付ける、そこにマーンガニヤールの社会的機能がある。ただ形として反復しているんじゃなくて、そこに実際に生きている一人一人にとって意味のある行為としての芸能。特定の共同体を前提とする儀礼というより、むしろ個人を共同体やその歴史に結びつけるライヴな手続き。これは今の日本でやっても面白い「アート」だと思った。それとマーンガニヤールは、ヒンドゥーパトロンとするムスリムの集団で、宗教的に混交しており、ヒンドゥームスリムを単純に対立項として捉えてしまうと理解できないという話。じゃあ実際には(人々の具体的な生活の中や、意識の上では)、宗教的な「混交」ってどういう風にして起こっているんだろうということを考えた。何か独特のハイブリッドな信仰が成立しているわけでもなさそうだし、要するにあまりカタくないってことなのだろうか。よく日本人は無宗教というけれども、神社に初詣に行って葬式は仏教、のようなユルい習慣のあり方と類比的に考えてOKなのか。仮にOKだとすると、一方では、ヒンドゥームスリムにしても、われわれのユルい宗教的な習慣と似たようなユルさだと理解していいのか、また逆に、われわれのユルい宗教的な習慣も、こうしたヒンドゥームスリムのそれ程度には意味のある「宗教」だと考えるべきなのだろうか。あと、地域のフォークソングボリウッド映画に使われているところも紹介されて、面白かった(日本では『ミモラ〜心のままに』という題で公開された Hum Dil De Chuke Sanam(99年))。この映画のダンスは目を疑うほど凄まじい、凝った振付になっていて、古典舞踊やフォークソングがあくまでもエンターテインメントとして生き続けられるって素晴らしいと思った。「西洋化」ではない「近代化」の一つのアジア的なモデルとはいえるだろうけど、それ以上に、「芸能」が洗練されても、ただシリアスな「技術」や「芸術」の地位に落ち着くことなく、あくまで「楽しい」もの、娯楽としての性格を保てるんだということを示しているように思う。参考文献表を見たらルストム・バルーチャの本が挙がっていて(Rustom Bharucha, Rajasthan: An Oral History, Penguin Books, 2003 [amazon])、これってバンコクの駅のホームでFがおもむろに「沖縄の民族誌をやるのに参考になるかもよ」とくれたものの何だかよくわからなくて放っておいた本だった。思いがけずつながった。ラージャスターンについてフィールドワークを行ってきた Komal Kothari 氏への聞き書きをバルーチャがまとめたもの。