ここのところ、大小さまざま12個ぐらいのことを同時に少しずつやってる感じで、そのうちの一個もフィニッシュに至らず、全体的にチクチクチクチク進んでいる。今日は授業の帰りに連絡が入り、至急ということだったので駅の近くでネットカフェを探してチラシのゲラを見た。会員証を作って、30分、250円。10分で良かったのだけど。チラシがやっと一個完成。
来月半ばに、タイのピチェ・クランチェンを主軸にしたイヴェントをやる沖縄県立美術館は、今月の1日にオープンした。「県立の美術館」は、沖縄県民の長年の夢あるいは懸案事項だったもので、例によって議論は多いが、ついに、という感慨があるようだ。開館記念展「沖縄文化の軌跡 1872-2007」の図録を送って頂き、そのヴォルテージの高さに衝撃を受けた。政治と芸術は完全につながっていて、というか生活のリアリティから切り離された「アート」なんてあるわけなくて、しかもそのことがとても豊かなことであるように思える。
今日、テレビでバレーボールを見ていたら、ブラジルのリベロがコートのはるか外まで飛んでいったボールを、頭からダイヴじゃなくて、スライディングして飛び込み、足の甲でオーヴァーヘッド気味にキックしてギリギリ戻していた。凄かった。あと、ブロックアウト対策で、ジャンプしてしまってから途中で腕を引っ込めてスルー、なんていうプレーもあった。ルール(法)に則ったまま、隙間を突いている。ルールの中に勝手にルールを作ってそれに縛られてしまってたんだな、ということが明るみに出る。ルールを故意にリテラルに読むことで、ルール内ルール(どこにも書かれてないのに勝手に思い込んでいるルール)は壊せる。床にボールが着かなければよい、バレーボールは手のスポーツなんて決まってない。ブロックは一つの防御パターンだがルールではない(ブロックアウトはそれを逆手に取る)、だから「ブロックの成否」に執着するのは無意味で、ただ相手のボールをコートの外に落とすことを考える。リテラル(文字通り)に読む、表層を間に受けることで深く読める。「忠実」さを徹底させることで破壊的になる。