午前の飛行機でジャカルタ入り。ピックアップに来てくれたIKJの学生二人と、映画の話とかしながらホテル着。渋滞で遅れたため、部屋には2時間くらいしかいられず、シャワーを浴びたりしてすぐにチェックアウトし、ゲーテ・インスティチュートへ。ジャカルタ・アーツ・カウンシルのルネ、シンタと初めて対面、中庭でヘリーと会う。他にも知っている顔がチラホラ集まっている。明日以降ぼくの通訳についてくれるルカスと、ゲーテのディレクターとも挨拶して、ランチをがっつり食べ、機材のチェック。ベッティーナ・ミルズと対面。自分と同世代の人かと思っていたら全然キャリアのあるちゃんとした人だった。出席者の集まりが良かったのでほぼ定刻にスタート、ぼくが先に話す。『シアターアーツ』に書いた、パロディと表層(キノコ、コンドルズ、イデビアン)から、内部空間としての身体(矢内原、白井、手塚)へ、というストーリーにもう少しだけ肉付けして(特に震災、サリンと公共圏の変質について)日本の90年代以降をトレース。ヘリーが丁寧に咀嚼してインドネシア語に訳してくれたが、全体に長引いてしまい、会場が疲弊気味になったため、コーヒーブレイクが入る。国際交流基金の金井さんにご挨拶する。連絡しそびれていた友だちのリアも来ていて、今回のイヴェントに同行するとのこと。後半はベッティーナがドイツのダンス状況と、特にタンツプラットフォルムについて紹介した。制度面というか文化政策的な話で、ぼくにとってはちょっと守備範囲外な話だったし、大半はすでに知っている内容でもあったが、コンセプチャルな作品の映像がいろいろ見られて良かった*1。Q&Aが少しあってから閉会。地元のジャーナリストからインタヴューを受けた。外に出ると二年前にソロで会った振付家のカデックと再会。大型バスへ乗り込み、プンチャックへ出発する。不意に隣から振付家のブサールに声をかけられて、インドネシア中のダンス関係者がみんな集まっているような雰囲気になってきた。点呼がとられてバスが走り出すと、モニターには歌謡曲のVCDが流れて、みんなで歌ったりして、学生の合宿か遠足みたいな超ドメスティックなノリで、こんなところに自分が混ざっているというのが妙な感じ。三時間くらい走って、山間のバンガローに着いた。ジャカルタとバンドゥンの中間くらいに位置しているリゾート地らしいが、この辺りがどういう土地なのか全くわからない。割り当ててもらったバンガローに入り(ベッドが四つもある)、インターネットはどうやってつなげるのか聞いたら、明日レセプションに頼めば手配してくれるとのことだったので、とりあえず安心して、テラスになっているビュッフェで食事。ミロト、ムギヨノと同席して、ついこの前、東京で会ったアグン・グナワンのことや、『オペラジャワ』の話などする。あの映画の撮影が終わった後、ジョクジャは大地震があって、古い建物はみんな壊れてしまった。だから『オペラジャワ』には懐かしい街並みが映っているんだとミロトが話してくれた。とにかく疲れ切っていて、翌日も早いので、すぐに寝る。

*1:それにしても前衛的な表現を社会的に支える体制が整っているっていうのは凄いことだと思った。共同体として、そういうわかりにくいものを、わかりにくいものとして是認しているわけで、わかりにくいけれども大事なんだという発想は、よほどの伝統(古代ギリシャにおける演劇みたいな)に裏打ちされていない限り無理だ。「伝統」は何もアジア特有のものじゃなく、ヨーロッパも「伝統」で動いている。というか、モダニズム自体が「伝統」なのであり、「伝統」がモダニズムへと転化しているから強いのである。