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ツタヤDISCASのDVDが11月からずっと借りっぱなしになっていて、せっかく一ヶ月無料キャンペーンで入会したのにこれではとっくに赤字なので、奮起して立て続けに見てしまう。一本目、ジャ・ジャンクー『世界』(04年)は全然わからなかった。二本目、マノエル・デ・オリヴェイラ『永遠の語らい』(03年)。この人の映画は難しくて、苦手意識があるのだけれども、これは大丈夫だった。というか衝撃を受けた。何しろ今年で100歳になる現役の映画監督なわけで、9・11以後の世界を扱うにしても背景にある教養と世界観のスケールが違い、要するに1910〜20年代というか『西洋の没落』的な文明論の目線。そして、映像って機械の眼(レンズ)に映ったものなんだということを改めて見せつける画面の異様な生々しさもさることながら(無意識のうちにドキュメンタリーか何かみたいな感覚で見てしまっていたり)、そしてジョン・マルコヴィッチの艶めかしい演技もさることながら、何より最後の、茫然と口を開けたマルコヴィッチの顔のストップモーションの画面の右側に下から速やかに上がってくるクレジットの入りのタイミングと速度、これがどうしようもなく強烈な「イマージェンシー」感を放つのだった。画面は停止し、もう言うべきことは言った映画は一刻も早く終了の儀式を終えるからあなたも早くあなたの現実に戻って下さい、というような。それにしても100歳(製作時でも95歳)……人間って、せいぜい120歳前後で終わりみたいだけど、もしずっと生き続けられたらどうなってしまうんだろうと思った。歴史は世代が交代して行くけれども、人の一生はずっと積み重なって行くから、歴史は賢くならないけど、人は経験を積んで賢くなって行く。死ななかったらどこまで賢くなれるか、なんていうことを思った。何かショックを受けすぎてしまったので、もう一本見る。去年アメリカで出た石井輝男の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(69年)。石井輝男といえばぼくにとっては『黒線地帯』『黄線地帯』の辺なのだけど、これはあまり面白くない。ただ土方巽および暗黒舞踏「塾」を見る分にはやはり興味深い映画。「奇形」というのは「常態」からの逸脱だから、要するに「多様」ということなのだ。そしてラストシーンの人間花火、爆発して飛び散る身体に、「おかあさーん」の連呼。こういう空気だったのか、というリアリティはある。