このところ空気が乾きすぎている上に、なんか鼻炎で喉がつらい。

紀要の論文に赤を入れてたらなかなか満足の行く仕上がりに思えてきたところへ3月の舞踊学会の研究発表の募集が。うーん…この時期、時間配分を誤ると自滅してしまうが、どうせならアウトプットしたい気も。

久しぶりに家で映画見る。というか今の家に越して来てからまともにDVD見るのが初だった。井口奈己の『犬猫』。映画って良いなー、と思った。というか、世界って良いなーという方がより正確で、見終わったら用もないのに外に出たくなり、午前1時の路上を意味なく徘徊して帰って来た。(いや実をいえば5月からずっと借りっぱだったツタヤ・ディスカスなので朝一で運ばれるようポストに投函してきた。)率直にいって、ビデオで何か作りたい、とも思った。しかしこういう時は別に、物語を、そして人間を、撮りたい、と思うわけでは全然なく、なのになぜ世の中の映画は人間ばかり映すのか。人間がテーマではない場合でも、人間を使用する。要は、面白く動いていれば何でも良いのに、それは結局、人間しかないのだろうか?(「面白さ」は「人間」から分けられないのか、ならばそんなに面白い「人間」とは?) 例えば、人間ではなく、街を撮ったら、映画にはならないか。

アクラム・カーンとシディ・ラルビ・シェルカウイの『ゼロ度』のDVDがイギリスで出て、早速取り寄せたら、ライナーをこの前ソウルで一緒だった Donald Hutera が書いていた。