午後から慶応大学の「国際舞踏カンファレンス」二日目に行く(15分ほど遅刻してしまう)。ヨーロッパでの舞踏の受容と変形がテーマ。それはまた「翻訳」という問題でもある。今日のスピーカーはスウェーデンで舞踏をやっている SU-EN と、ここ数年早稲田で研究をしている Katja Centonze。
芦川羊子に師事した SU-EN の発表は、新しい文化的コンテクストの中で舞踏がどう機能するのかという再解釈に関する報告で、非常に興味深かった。彼女の活動は「もう日本人の舞踏コミュニティには属していない」そうで、社会的なテーマに積極的に関わりながらパフォーマンスアートのような方向へ向かっているようだった。例えばスクラップ工場で、そこの労働者とのコラボレーションによって「リサイクル」をテーマにしたパフォーマンスを行う。舞踏の手法でニワトリに「成り」つつ、本物の鶏小屋で数時間を過ごす。これはアニマルライト系の団体と絡んでやったものだそうで、ウケたのはよくあるピラテスやエアロビクスのヴィデオのパロディで chicken instruction video を制作したという話。これが見たかったが上映はされなかった。前者についていえば『肉体の叛乱』の真鍮板などとの、後者についていえば『禁色』におけるニワトリとのつながりを保ちつつ、しかしもはやそれらとは和解不可能なところまで、土方から遠く離れたところでアクチュアルな展開をしている。彼女が芦川の言葉として引用する命題がどれも刺激的で、日本語から一度英語にしてみることで純度が高まっているのではないかと思った。「パフォーマンスとは体を使って何か発言をすること」であるとか、「忘れられていたことを思い出す」とか、「ステージに上がるということは未知の空間に身を置くということ」など。
Centonze の発表は南イタリアレッチェにおけるタランティズモ(毒蜘蛛に噛まれたような状態という意味からそう呼ばれる)という一種の舞踏病/ヒステリー/トランスのような現象(文化)を、郡司正勝を介しつつ舞踏と比較するもので(暗黒舞踏は「死の舞踏」であるとか)、ちょっと普通にオリエンタリズムではないかと思った。質疑の時に SU-EN が「1900年頃というのは心理学が盛んになった時期で、スウェーデンでもヒステリー患者が量産されて「スーパースター」になった」とシニカルなコメントをしていたが、実に真っ当な指摘で、むしろ、例えばフーコーのいう「抑圧の仮説」と近代のダンス(「モダンダンス」を含む)の関係とかいったような研究が展開されるのにこそ絶好の素材であるように思えた。タランティズモについてはエルネスト・デ・マルティーノが61年に発表した研究 La Terra del Rimorso が古典的とのことで調べてみたら去年DVD付きの新版が出ていた。興味を惹かれるのは表題が Morso(噛むこと)ではなく Rimorso(再び噛むこと、転じて、良心の呵責)と付けられているところ。いわば「セカンド・レイプ」的な。ヒステリーは no reason ではなく反省の形式なのだ。
パネルディスカッションは中座して横浜STスポットで木村美那子ソロを見る。思いがけず異様に美しいシーンがいくつもあって面喰ってしまう。