吉見俊哉『親米と反米――戦後日本の政治的無意識』('07、岩波新書)[amazon]を読む。テーマパークの「アメリカ」と基地の「アメリカ」、欲望と消費の対象としての「アメリカ」と暴力としての「アメリカ」の相即ぶりの整理と論証は鮮やかすぎてクラクラした。中でも注目したのは、大笹吉雄が『日本現代演劇史』で指摘している浅草オペラの、ヨーロッパ(=芸術)ではなくアメリカ(=芸能)を起源としていた事実。「羽衣ダンス」というのは、引用されている図版のポスターを見ても、いわゆる「サーペンタイン・ダンス」のようである。これと、戦後の基地文化がいわゆる「芸能界」の起源となっていること(第3章)をつなげて捉えると、日本では「芸術」がダメで何でも「芸能」になってしまうことの背景に、アメリカ的な娯楽産業のモデルが一貫して現れてくる。また、戦前の帝国主義と戦後のアメリカ主導による民主主義の連続性というのが吉見の議論の肝なのだが、そうはいってもやはりより大きなプランを描けているアメリカが日本を傀儡化した(あるいは巧みに誘導した)という意味で戦後は戦前と違う。アイゼンハワー政権では「アジアにおいては経済重視と軍事優先という二つの要請を、日本と韓国や台湾、フィリピンなどの国々で役割を分割していくことで両立させようとした」(14頁)という辺りは、アジア各国のナショナル・ヒストリー(ズ)ではないリージョナルな歴史観が現状分析の道具立てとして必須であることを知らせてくれる。
黒沢美香&ダンサーズ「家内工場」第4回。前回と(ほぼ)同じ内容、ただし二週間という間は、同じ作品を再演/再見するのには実に丁度よい。わかってはいても見過ごしてしまう、微細だが決して瑣末ではないことどもに目の焦点が合う。
インドネシアから返事が来て3月末に出かけることに決まったっぽい。