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瀕死の状態で朝を迎えても研究室でパワーナップできるように、ソファーベッドをネットで物色。あまり渋すぎるデザインでも部屋が殺風景になるし、なかなか気に入ったものが見つからず。
夜、解体社を見に行く。プレカリアートのような日常的モティーフと生政治的なテーマ(しかも土方巽)をリンクさせる最近の試みとしては何かが見えて来たような、手応えのある上演だった。数えてみればもう15年も解体社を見ている。ヘッドギアはオウム真理教の時に出てきたアイテムのはずだが、今でも必ず出てくる。初めて見る人はもはやヘッドギアからオウムを連想することは恐らくないだろう。つまり解体社においてオウムはいわば「起源」を欠いた物語として、すなわち(われわれの)「神話」として、語られている。
来月、びわ湖ホールでマリー・シュイナールのアフタートークをやることに。さすがにファンなのでちょっと緊張。