会議の日。納得いかないこと。日本語が使用できる研究者によって書かれた西洋美術史関係の論文のうち、単に「日本語以外の外国語で書かれた論文」をいう際に「欧文の論文」と表現すればOKという感覚は、ちょっとどうかと思う。例えば、韓国籍で日本語も英語もペラペラだけどたまたまアラビア語でヴェネツェア派とイスラム神秘主義の関係について書いているということだって(でたらめ)可能性はゼロじゃない。また他方、「欧文」っていった時そこにはゲール語バスク語マジャール語などは含まれるのか否か。百歩譲ったとしても、しかし、西洋美術史の論文のオーセンティシティがあくまでも英語、仏語、独語、伊語あたりにあり、中国語やウォロフ語やタミール語ではダメだと考えるなら、他ならぬ日本語で書かれた西洋美術史の論文の立場は…って思ったりもした。
ちなみに授業の時に、学生が「世界的に…」といいながらその「世界」が実際には「アメリカ」のことだったり、「西洋」の話をした後に「翻って日本では…」的な話の持って行き方をしながら実際には東アジア全体に当てはまることしか言ってなかったりすると、無理矢理でも何か茶々を入れたくなってしまう。

東洋における抵抗は、ヨーロッパがヨーロッパになる歴史の契機である。東洋の抵抗においてでなければヨーロッパは自己を実現しえない。(竹内好『日本とアジア』、ちくま学芸文庫、27頁)

非ヨーロッパ諸大陸のヨーロッパ化[=近代化]は、ヨーロッパの支配下に入る以外のかたちで行われえたし、そうしたヨーロッパ化[=近代化]の動きはまさに途上にあったのである。その動きは遅らせられさえしたし、いずれにせよ、ヨーロッパによる専制支配のためにねじ曲げられてしまったのである。(エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』、平凡社ライブラリー、152頁)