京都芸術センターで白井剛の新作を見る。休憩をはさみ二時間強。上演時間が長いと、表層的な印象が持続しない。否応なしに、見る角度を様々に変え、色々なことを考えてみる、そういう時間が生まれる。例えば、緊張感を感じるだけでなく、その緊張感の源泉は何か、というところへ自然に考えがおよぶ。あるいは、情緒の上でのネガ(否定)とポジ(肯定)が引っくり返り、やがてそのどちらでもない、より冷静な理解や推論のプロセスが始まる。もちろんこういうことと、作品そのものの「評価」は必ずしもつながらないにしても、この作品のサービス精神の薄さは、観客を受動的な消費者として扱わず、思考することを要求する姿勢であるように感じられた。
その後、Kくん&Kさんと打ち合わせを兼ねて飲みに行く。Kくんはこのごろ岡倉天心に興味をもっているらしい。岡倉天心に興味をもっている振付家がいる、ということが決して特異でないような、そういう時代がいつか来るだろうか?
少し前、美術や映画などの関係者と話していて、ダンスの分野で例えば「ジェンダー」が語られることなど皆無に等しいと言ったら本当に驚いていた。ダンスなんて一番ジェンダーと関わりの深い分野じゃないの、と誰もが口を揃えて言う。まあこれは日本のダンスに限った話で、こんな国は他にないと思うけど、と付け加えておいたかどうかは忘れた。「日本」という場所が日本人の意識におよぼしている作用について、日本人はどうしたら考えられるようになるのか。これこそが日本のポストコロニアルという問題なんじゃないかと思う。