昼前にホテルを出て新幹線に乗り、渋谷でOさんと会う。主に、ダンスの「コミュニティ」について。先日の We dance では、日本では「コミュニティ」というものが否定的なイメージをまといがちである、という話が出た。ある目的のために人が集まっても、「集団」や「組織」になってしまうと、今度はそれを維持するという別の目的がどうしても発生する。もとは「手段」だったものが「目的」に変わる。確かにこれが最大の問題だろう。しかしはっきりした目的さえあれば、手段は何でもいいという姿勢を貫くのはそれほど難しくない気もする。複数の人々のユルいつながりとしてのコミュニティ(組織でなくネットワーク)で何の問題もないはずだと思う。むしろ、目的を明確に持つということが足りない場合の方が多いのではないか。自己目的化してしまった「組織」の姿を見て「コミュニティ」を嫌悪するのではなく、はっきりした形はないけれども何らかの目的に向かって動いている不定形な力の流れを至る所に見つけて、そこにコミットしていけばそれが「コミュニティ」になると思う。ところで自己目的化した「組織」の対極には、個人的な人と人の友人・知人関係というものがある。We dance のクロージングフォーラムで、こういうものは誰でも持っている、これが「コミュニティ」なんじゃないか、という発言もあったが、プライヴェートな(私的な)人間関係、利害関係だけであったら、それは普通、「コミュニティ」とはよばないのではないか。私的な利害や感情を超えられるような、パブリックな目的がどうしても必要なはずだと思う。もちろん私的な利害や感情の集積がパブリックなものに転化する可能性は十分あるにしても。
前にも書いたが、インドネシアジョクジャカルタに「クダイ・クブン・フォーラム(Kedai Kebun Forum)」http://kedaikebun.com/という場所があって、主にギャラリーとシアターなのだが、2005年にここで話を聞いて驚いたことがある。まずインドネシアのアートにはアメリカや日本からの助成金が膨大に流れ込んでいるという事情があり、そこで、それを自ら断ち、なおかつアートができるかということを考えたらしい。そして何から始めたかというと、数人のスタッフが料理の修業を一年間したという。アートをやるために、その前段階としてまずレストランを経営し、そこから得られる利益でギャラリーとシアターを回していこうという計画を立てたのだ。そして今や、旅行ガイドなどには Kedai Kebun といえば若者向けのオシャレなレストランとして紹介されていたりする。

クダイ・クブン・フォーラムは、ジョクジャカルタにあるオルタナティヴなアート・スペースで、芸術家たちによる独立採算のもとに運営されている。ギャラリー、パフォーマンス・スペース、アートに関する啓蒙的なメディアである『HALTE』の出版、書店、そしてレストランからなる。

クダイ・クブン・フォーラムは、学習や研究のための広場を提供する目的で作られた小さなコミュニティである。とりわけ、アートを通じた社会変革に関わるあらゆる出来事への感受性を高めていくことに関心を置いている。

クダイ・クブン・フォーラムの全ての活動は、その個性あふれるレストランによって賄われている。(サイトより)

アートをするのに、ここまでの主体性と目的意識をもっているということ自体が素晴らしい。「アート」があるからそれをやっている(制度があるからそれに乗っている)、というのとはモティヴェーションの次元が全く違っている。