芸術見本市のダンスショーケース。先週見逃した手塚夏子の新作の短縮版と思われる『プライベートトレース2009』が凄かった。トレースするだけで(言葉で、あるいは反復によって)、目に見えにくいものも明瞭な形を現してくるということ。そして、『私的解剖実験―4』から続いているモティーフとして「ヴィデオカメラの視点」というものがあるわけだけど、これが今回はなにか「神の視点」みたいな超越的な雰囲気を漂わせていて、カメラという機械にとらえられた細部をひたすら再現する/見る行為が進行していくうちに、機械=神の眼差しの「無限」さが感じられてくる。何だかそれは、とても大きな存在が人間を包み込む包容力のようでありながら、同時に、監視カメラの無機質な透視力そのもののようでもあって、さらには「しんどいよ」「大丈夫、誰も見てないって」と反復される言葉の意味までがそこに絡み合う。長く尾を引きそうな深い衝撃を受け止めてしまった。
神村恵の『斜めむき』はテーブルの上でグラグラやる部分が、久々にヒットの感。揺らせば揺らすほど危なくて、暴れた分だけ自分に返ってくるのはわかっているんだけど危ない(=楽しい)方へどんどん行く。愚かしさが公然と肯定されるその迫力。
ところで時々聞かれるので念のため記しておくと、神村恵、鈴木ユキオ、手塚夏子というこのプログラムは、昨年10月のインドネシアン・ダンス・フェスティヴァルの武藤キュレーション「3 solo dances」と丸カブリなのだが、これは偶然の一致で、ぼくは見本市ショーケースには関与していない。出演者が同じとはいってもジャカルタでやるのと東京でやるのとではまったく意味が違うし、キュレーション(企画)というものは個々の作家や作品だけでなく、上演のコンテクストまで含めて考えられるものだとぼくは思う。