今年も芸術見本市の時期が来た。色んな地域の知り合いと再会できたり、新しく知り合いになれたりして、別に何も売ったり買ったりしない立場だけど、情報交換もできるし、有意義な場。ただ去年はあんなにたくさん来ていたアジア系の人たちがすごく少なくて、結局は欧米の人たちがマジョリティになっているのは残念。

とはいっても、今年はフィンランド勢が大挙して来ていて、先日、彼ら彼女らのために日本のダンスの基礎知識や現状について話すレクチャーを仰せつかった関係で、やたらとフィンランドの人たちと一緒にいる感じになっている。フィン語は、ラテン系やゲルマン系からはまったく類推できそうにない、不思議な言葉で、ハッキネンとかカウリスマキとか、そういう感じで、大使館のAが「ニギリッペ」という日本語がフィン語みたいで面白いと言っていたので、フィンランドには「サーリアホ」っていう作曲家がいるよね、と言ったら、いやもっと凄いのがいっぱいあるよと言って、とても公の場では口にできない、すごい例を真顔で次々に教えてくれた。その中で一番マシだったのが「アホカス」という苗字…。こういうのって厳密な意味で「悲劇」としかいいようがない。

フィンランドからはダンス、演劇、サーカスの関係だけでなく、パフォーマンス関係の人たちが結構来ていて、今年はブリティッシュカウンシルが企画したイギリスの非シアター系のアーティストのショーケースが充実しているので一緒に参加したりした。彼はインタラクティヴデザインの専門家で、パフォーマー振付家とコラボレーションして実験的な作品をいろいろ作っているらしい。ヨーロッパの人たちと話していると、論理的なクリアーさに感心させられることが多いけれども、それは目的をはっきり持つということをしているからだと思う。目的がなければ、論理がクリアーになる必然性がそもそもないし、論理がクリアーにならなければ、ビックリするような結果が生まれることもない。

最近、日本は歳老いた国だと思うようになった。老朽化しているという意味。アジアの中で一番先に、欧米にあおられて慌てて近代化した。その急場凌ぎの足場を、日本が戦争で大失敗した後も、アメリカが利用した。おかげでずっと、近代化の歪みを見ないでいられた。だからバブルの頃、お金はほとんど全部、買物に使ってしまって、まさかそんなタイミングで基礎工事をやり直そうなどとは誰も考えるはずもなかった。若い国というのは、例えば韓国やシンガポールがそうだけれども、経済成長していく日本を横目で見ながら、もっとうまくやったのだと思う。だとすれば、これは単なる時差の問題では終わらないだろう。日本が多分、この先どこまでも沈んでいくのだとしても、後から来る国はたぶんそんな風には沈まないだろう。