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三日目は午前中からパネルディスカッションに駆り出され、バリの芸術祭とIDFの説明にちょっとコメントするという役目。あまり貢献できる立場でもない上に、拘束時間が長くて難儀してしまう。会場で、インドネシア語で書かれたダンスの本を何冊か入手した。
夕方、インドネシアの若手振付家のショーケースと、ゴンゾのストリートパフォーマンスがカブッているため、ショーケースを少し見て途中からゴンゾへ。関係者は大半がショーケースに張り付いているし、今回はドラム無しなので、最初は人だかりも少なく、街の日常空間にもろに剥き出しになった感じでスタートした。徐々に通行人が立ち止まり始め、場がざわついて来る。真面目と不真面目、協調と暴力の境界線上をたえずグラついているパフォーマンスは、一般の人の目から見たら相当に不思議だろう。皆じっと見ていて、歓声も上がるようになって来たころに警官が職質に来て、IDFのスタッフが対応する。遠足か何かで子供がたくさん集まっていたので、影響を懸念したらしい(「怪しいものはとりあえず排除しとく」式の対応ではない)。しばらくすると子供たちは観光バスへとしまわれていった。パフォーマンスの最後はいきなりワーッと声をあげながら走り去って終了。個人的には今日のセッションが三回中で最も充実しているように感じた。
すぐにショーケースに戻って最後の一本を見る。ジェコのグループで踊っていたブギーの作品はやはりストリートダンスと伝統舞踊をミックスしたもので、今後の展開に期待できそう。
夜のメインプログラムはメグ・スチュアートの作品。「劇場」という制度、すなわち「見る/見られる」という制度をあくまで前提として、そこに捻りを加えていく作りなので、そもそも観客が「見る」あるいは「見続ける」ための必然性を作り出そうという意識が稀薄。ヨーロッパの近代市民社会に特化した、すごくローカルな作品だと思った。IDFでは毎回上演後に花束贈呈みたいなセレモニーがあるのだが、特にこの日は「芸術」をデフォルトとしている出演者たちと「芸能」をデフォルトとしている主催者側とのコンテクストの食い違いっぷりが際立っていた。