1950年に日本から船でマルセイユに到着した森有正は、これから「パリへ行くのが恐くてたまらなかった。そこには必ず僕の手に負えない何かがあるような気がした」(森有正「バビロンの流れのほとりにて」、『森有正エッセー集成1』、ちくま学芸文庫、19頁)。この恐怖感は、最近ぼくの中にも時々湧き起こる。知らない土地に行く時ではなくて、二度目か、何度目かにそこへ行った時に、不意に恐くなる。最初にこの感覚に気づいたのは、二度目にバリのデンパサール空港へトランジットで降り、これからジャカルタへ行くという時。その後、なぜか大阪の千日前の辺りを歩いている時に、不意に大阪弁の人々の中を歩いているのが恐くなってしまったことがあった。しかしそれが何か、重要な覚醒の瞬間であるような気もしていた。つまりその土地の文化が自分にとっていかに異質かということは、最初はあまりわからない。イメージや観念が邪魔している。むしろ、慣れたと思った時に、漠然と気づく。森有正の書き方は、何だかとても「実存」主義的な、誇大な感じもするのだけれども、要するにそういう風に考えるべきか、と思わせてくれる。

そしてパリの方は僕を全然知りもしないし、必要としていないのだという感じだった。人は、僕の方こそパリを必要としているのだ、僕はパリに行ってたくさんのことを学ぶのだというだろう。しかしこの考えは僕に関する限りまちがっている。いったい人はパリに行って何を学ぼうというのだろう。頭の悪いのもよい加減にしないといけない。そんなことは全部吹けばとぶようなことなのだ。パリに行って、自分のためになるように学べることは全部日本で学ぶことができるのだ。(20頁)

自分が変ることが必要なのだ。単に冷たく相手を客観的に知ることでもなく、また自分の意欲を基礎にした主観的熱情で、相手が自分のものになると考えることでもない。〔…〕文明と自分。もし自分が、文明の方が求めるものでなかったら、僕はどんなに苦しんでも文明に参与することはできないのだ。関係は全然逆だったのだ。(27頁)

「アジアダンス会議」以降何か自分の中で考えが定まってきて、とりあえずモチヴェーションの高い、大きい仕事を選んでやっていこうという気になった。まずは公演評を書くのを当分止めることにした。何しろ書くのが遅いので、次から次へ、いちいち対応しようとしていると、消費文化のペースに巻き込まれてがんじがらめになってしまう。自分の中でモチヴェーションが高い仕事に集中していきたい。