今週はいくつもの書類仕事で体力の限界。もう倒れそうになりながら今日は食事の時間もなかなか取れない状態で、でも仕事が終わって群馬から横浜まで移動して見た木ノ下歌舞伎の『勧進帳』は一週間の疲れが全部吹き飛ぶような面白さだった。ヒューマンビートボックスもあり、ヒールですり足もあり、しかし単に歌舞伎をポップにやってみましたというようなスーフラ的思い付きからはほど遠い。こだわりとディテールの積み重ねから来る濃厚さは、見た目よりも深層のレベルで「歌舞伎的」な何かとしかいいようのないエッセンスを時折り垣間見せてくれる。しかも弁慶と富樫が日米関係とダブって見えるようなところもあって、終盤はずっと普天間基地のことを考えながら見てしまった。木ノ下+杉原組、今後がすごく楽しみになってきた。

テッサ:[…]日本からオバマのようなリーダーが登場するとしたなら、それはきっと沖縄からなのではないでしょうか。天地をひっくり返すような構造転換がないと、それもなかなか難しい。
吉見:そうですね。沖縄から日本のオバマが現れる。しかも自民党ではなく。もし沖縄からそんな政治リーダーが出てきて首相になれば、人々の価値観が大きく変わるでしょう。


吉見俊哉/テッサ・モーリス−スズキ『天皇アメリカ』(集英社新書、2010年、169頁)[amazon]

ユリイカ』の5月号が、なぜかこのタイミングでポン・ジュノ特集を組んでいて[amazon]、公開中の最新作に急き立てられるといったこともないために落ち着いて(だいたい)全部読んだ。

いわゆる韓国通の執筆者が入っておらず、それだけに映画に描かれた「韓国」に対してどう距離を取るかが人によって様々で、そこが興味深かった。例えば『母なる証明』のラストのバスの中での踊りのシーンについて黒沢清は、「大胆で面白い表現」だと思ったが実際は韓国ではよくあることなんだと聞いてびっくりした、と言っている(84頁)。確かに、夕陽の逆光に包まれながらおばさんたちがバスの中で立ち上がって踊っているシーンは妙に幻想的だけど、ぼくは逆に、あれを独自の「大胆」な表現として受け留めるという可能性の方に想像が及ばなかった。韓国で観光バスに乗ると必ず座席の上からマイクがぶら下がっているし、少し前に、観光客が歌ったり踊ったりしていたら高速道路で大事故が起きてしまって自粛傾向になったという話も聞いたことがあったので、あのシーンはすんなり受け入れられたのだが、見る人によっては確かに相当「シュール」な演出に見えるだろう。他にも、この号のテクストの中には「あれは韓国では普通なのかどうかわからないが」というような断り書き、あるいは韓国と日本の違いや類似についての考察が多く含まれていて、やはり韓国が「近くて遠い国」なんだということと同時に、映画を通して未知の土地に近付くことの楽しさを改めて思った。

ある時期から本当に色々な地域の映画が見られるようになったけれども、「あれは○○では普通なのかどうかわからないが」という迷いみたいなものが真摯に語られることは決して多くなかったのではないだろうか。加藤幹郎ポン・ジュノを「日常生活世界をこれほど丁寧に探求する作家も珍しい」(169頁)と書いているけど、それすらも実は、ポン・ジュノの特質という以前に、そもそもわれわれが韓国の日常生活世界というものに目を引き付けられてしまうほど、韓国についてよく知らないということ、そして(日本と似ているだけに余計)知れば知るほど興味深く感じられるということの、効果なのかも知れない。

そういえば、ぼくも2008年に初めて韓国へ行った時、ダンス関係者たちの前でポン・ジュノの話をした。自分にとって『グエムル』がほとんど初めて見た韓国映画で、そこから韓国への興味が広がっていったから、早くダンスの世界でもポン・ジュノみたいな人が出てくればいい、みたいなことを言った(ちょっと皮肉っぽく響いたと思う)。

高校のころに映画を見まくっていて、映画のおかげで、行ったこともない場所や時代に接することができた。北欧のホテルの内装が例えばどんな風になっているかとか、アメリカの裁判所の雰囲気だとか、パリの夜はどんな空気感なのかとか、そういうことは、映画を通して「知った」。加藤幹郎は『映画館と観客の文化史』('06年、中公新書 [amazon])で、初期の映画館がエキゾチックな異国や古代世界のイメージで装飾されていて、つまり映画というのは「どこか遠いところ」への旅を意味していたのだ、というようなことを書いている(うろ覚え)。このことと、イザドラ・ダンカンが古代ギリシャへ、あるいはルース・セント・デニスが東洋へ、と向かって行ったこととはまさにパラレルだ。初期のモダンダンスは、エキゾチシズムを媒介にして既成秩序からの離脱を図った。

ところで、(あちこちで喋っているけど)自分にとってダンスと「食」は切り離せない関係にある気がしている。ダンスを見るようになってから、食に対する興味が飛躍的に高まった(以前は全く興味がなかった)。もしそこに何か因果関係があるとしたら、ダンスも食物も、外から見ている限りは決して味わうことができず、自分の体に取り入れてから初めてそれが真の相貌を現してくるという共通点はかなり重要だろうと踏んでいる。けれども最近は「食」の他にもう一つ、「旅」という要素がダンスと密着しているような気がしてきた。

BSでやっている『世界ふれあい街歩き』という番組は、毎回一つの街を一人称のカメラと語りで紹介する形式で、すごく楽しい。ステディカムの滑るような動きは、人の歩行の速度より若干遅い感じで、いかにものんびり散歩しているような雰囲気を醸し出しつつ、けれども、一度カメラに捉えられているからこそ画面の隅々までじっくり観察できるのであって、実際には決してこんな風に歩きながら街を眺めることはできないということもわかる。必ず朝から始まり、街の人々の一日を何となくなぞるようにして、夕方に終わる。クルーは4〜5人だと思うが、現地語がわかる人がいて、街の人に話しかけたりする(話しかけている声が全く聞こえないのに、街の人の声はきちんと録れているのが不思議な感じだ)。どこまで仕込みなのかわからないが、いかにも観光的な要素はほとんどない。オクラホマ州の古い街を取り上げた時など、本当に話題がなくて、ちょっと退屈なぐらいだったのだけど、堂々と見せ切っていた。

それで、この3月にヤン・リーピンの『シャングリラ』を見に行った後に、ちょうど雲南の回がHDDに入っていたので見た。ヤン・リーピンは1986年の中国ナショナル・コンペティションで『孔雀の精』というソロ作品を踊って一躍有名になった人だが(Jiang Dong, Contemporary Chinese Dance, 新星出版社, 2007)、『シャングリラ』も彼女のソロが見所で、あとは見かけの派手さとは裏腹に平板なエンターテインメントというよくあるパターンだと思った。でも何が足りなかったのだろうと思いながら、『世界ふれあい街歩き』を見たら、要するに舞台で実際に踊っている雲南の人たちの「息づかい」みたいなものが、照明やら音響やらの効果で完全にかき消されてしまっていたからつまらなかったのではないかと思えた。番組の中でも、楽器の稽古をしている若者とかが出てくるし、多民族が混淆している街の雰囲気も(少し)伝わってきた。結婚式では花嫁がなぜかサングラスをしていたりして、いわゆる習俗というもののそういう不可解な側面も生々しかった。本当に良い「旅」番組だと思う。

もちろん舞台は照明やら音響やらで飾り立てた方が、舞台慣れしていない人々が演技しやすいという事情もあるのだろう。でも、それではせいぜい「観光」にはなっても、こういう濃厚な「旅」の感覚にはつながらないのだ。知らない人の生活というか、生のありさまを、ダンスは強烈に伝えて来る(あるいは想像させる)ことがあって、そこにはごく個人的なことから文化的なことまでが幅広く含まれる。これもダンスの楽しさの重要な要素だと思う。演劇とダンスがどうとか、ダンスと美術がどうとか、そういう類の話とは別に、少なくともぼくにとってダンスは「食」と「旅」という二つのパラダイムと交差している。

ワンダーランドの「劇評を書くセミナー」で、佐々木敦さん、水牛健太郎さんとともに“私の考える劇評”について喋った。ぼくはお二方ともに今回初めてご一緒させて頂いたのだけど、意外と話があちこち転がり、セミナー全体の目的にはそれなりに資する内容になったんではないかと思う。最初は何も話すことなんてない気がしていたけど、アゴラの野村政之さんのコーディネートと司会に明確な動機と指針があったのと、佐々木さんが最初からフルスロットルで飛ばしてくださったおかげで、自分もつられて積極的になれた。

でも現場では何かあまりクリアーに言えなくて、後ですぐ整理できたことが一つあったので書いておきたい。それはつまり、佐々木さんがチェルフィッチュの『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の例の即興の部分について、その場面の可変性はあくまで「確率論的な」水準に関わる問題であり、「一度しか観ていない」限りはその出来事は「まだひとつきりでしかない」と書かれているのを(『ユリイカ』2010年3月号)、それはやはりどちらかといえば「演劇寄り」の見方であって「ダンス寄り」の見方はまた違ったものであり得るだろう、というようなことをぼくは勇み足気味に口走ってしまったのだが、あそこで言いたかったことは、要するに「複数回見ればその度毎に違っている、ゆえにそれは即興で演じられている」という認識は、経験というよりは推論に基づくものであって、また演出家による「仕掛け」の水準にフォーカスを絞った見方だ。しかし少なくとも「ダンス寄り」な見方からすれば、まず素朴には「複数回見なければ即興であるとわからないのであれば、その仕掛けには全く効果がない」という判断の方が大きな意味をもつと思う。つまり「ダンス寄り」の目は、経験の内実をこそ最大限に重視しようとするものではないだろうか。

しかし問題はこの先にある。つまり、役者が即興をやっているのにその効果がどこにも反映されないなどということがあり得るだろうか、ということだ。実をいえばぼくはSTスポットと横浜美術館でそれぞれ見て、二度目の時に「みずきちゃん」と「ナレーター」と「三人目」を演じる役者が違っていることに気付いたのだが、それが即興だという事実は後から教えてもらって知った。つまり即興を演じている役者のテンションに気付くこともなしに見ていたわけで、これは「ダンス寄り」の目にとっては決定的な敗北と言うべきなのであり、己の怠惰を恥じこそすれ「即興の効果がない」などとは口が裂けても言いたくない。舞台で即興が行われている時に出来事の細部を見ていなかったのは自分の方なので、だからもっときちんと見なくてはいけない。たとえ見るのが一度きりでも即興かそうでないかぐらい普通は見ればわかるのだ。あるいは少なくとも「見ればわかるはずなのだ」と思っていなければ、ダンスを楽しむことなどできないだろう。

もちろんその場限りの出来事の「一回性」をそのまま「複数性」(「見る度に違うはずの」もの)という意味に変換して理解する方が、いわば常識的なものの見方である気がする。けれども、目とその経験への批判ということにかけては、演劇を見ている人よりもダンスを見ている人の方が、はるかに強い関心をもっていることは確かだと思う。演劇の方が、作品の同一性(恒常性)に依拠する度合いが相対的に強く、ダンスはもっと上演の非同一性(二度と繰り返せないものという性格)の方を重視する傾向にあるだろうからだ*1

そういうわけで、佐々木さんが「演劇とダンスをあまり分けて考えない」とおっしゃったのに対し、ぼくはダンスに固執しているとわざわざ天邪鬼に主張してみたのだった。

*1:セミナーの時に、この上演を見たドイツの(日本語は解さない)人の、「舞台のあらゆる部分が震動している(vibrant)ように感じた」という感想を紹介したのは、これが実に「ダンス寄り」の見方だと思ったからで、つまり即興であってもなくてもあらゆる部分がすでに「震動」していたから、ことさら即興を仕込んだ部分が特に際立つこともなかったのかも知れない、という風に説明したつもりだった。

結城座フレデリック・フィスバックの『宦官提督の末裔』は、クオ・パオクンの台本(?)に興味があって見に行った。そうしたら柴幸男の『スイングバイ』とほとんど同じといってもいいくらい似た舞台設定で驚いた。前者は現代の(シンガポールの)会社のオフィスで働くサラリーマンが明の時代の鄭和(=宦官提督)の大航海を夢想するという舞台設定で、後者では「会社」という組織および建物が「人類史」のメタファーとして扱われる。反復される日常と歴史のスケール感を突き合わせる構造が似ているだけに、『宦官提督の末裔』という戯曲がもっている意味の厚み、リアリティに比して、『スイングバイ』の悲惨な薄っぺらさを思った。宦官提督の「末裔」というのはもちろんシンガポール国民のことを指していて、シンガポール国民の日々の現実にあえて壮大な歴史のイメージをぶつけて「ありふれた日常」なるもののイメージを足元から引っくり返そうとするところに、演劇という虚構の力がある。現在のシンガポールについて歴史的に思考しようとする。それに対して『スイングバイ』で扱われる歴史は、ほとんど空疎な「情報」の集積でしかなく、むしろ学校で教わった「どうでもいいこと」を同世代の人間同士でシニカルに確認し合うためのネタという方が相応しいようにすら思える。現に歴史を生きながら、決してリアルに歴史観を持とうとはしない人々、それが日本人なのだと思う。『宦官提督の末裔』と『スイングバイ』を両方見る人がどれくらいいるのかわからないが、そのこと自体、つまりマーケティング的な動機によって観客層が分断されているということ自体、こうした歴史意識の欠落とも無関係ではない。世代が分断されると歴史も分断され、歴史が分断されると国民意識も弱くなる。もちろんこんなに国民意識が稀薄なままでやって来られたのもUSAのおかげであって、先はもう長くない。

翌日、京都へ白井剛を見に行ったらTさんに会って、この辺りの日本の新しい演劇の話になった。ジャーナリズムは出来事を「ブーム」や「世代」で括りたがるけれども、そうすると誰もがその全体丸ごとに対して「のるかそるか」の対応へと引きずられがちになって、個別にしっかり見るということがしにくくなるとTさんは言っていた。その通りだと思った。例えばしばしば一括りにされがちなチェルフィッチュとそのエピゴーネンたちの間には、ぼくの中では歴然としたボーダーがあって、とてもではないが「世代」や「ブーム」なんていう表層的な指標でもって一括りにすることはできない。それは岡田利規パフォーマーの身体にものを語らせているのに対して、エピゴーネンたちはどれだけ演劇の形式に手を加えてみてもつまるところは事前に作成したプログラムを舞台上でランさせることしか出来ていないという、とりあえずこの一点に尽きる。だから少なくともぼくにとっては、チェルフィッチュは80年代生まれの若い世代などよりもはるかにDA・Mの方に近く、また手塚夏子や白井剛との近さの方が有意味と思える*1

*1:ついでに(おそらく誰も話題にしていないので)書き添えておくなら、今年1月のDA・Mの公演は凄かった。4人がバラバラのルーティンワークを即興でひたすら持続するストイックな構成で、1時間が異様なテンションのまま過ぎた。ここまで身体を使い切った舞台はダンスでもここ最近見かけることができない。

生まれたばかりの子にあらゆる言語を話す能力が潜在的に具わっているというのは素晴らしい。しかし、あらゆる潜在的能力を保っていたら一つも言葉がしゃべれない。だから、極端に言えば、たった一つを残して、残りの能力を取り敢えず全部破壊していくのが、母語の修得だということになる。ちょっともったいない気もする。大きくなってから外国語をやりたくなるのは、赤ん坊の頃の舌や唇の自由自在な動きが懐かしいからなのかもしれない。大人が毎日たくさんしゃべっていても絶対に舌のしない動き、舌の触れない場所などを探しながら、外国語の教科書をたどたどしく声を出して読んでいくのは、舌のダンスアートとして魅力的ではないか。柔軟に、あらゆる方向に、反り返り、伸び縮みし、叩き、息を吐く舌、一つも意味を形成できないままに自由を求めて踊りまくる舌、そんな舌へのあこがれがわたしの中に潜んでいる。でも、そんな舌を本当に持ってしまったら、もう誰にも理解してもらえないことになる。だから仕方なく半硬直した単言語人間の舌を取り敢えず装って、まわりと意味をやりとりしながら暮らしていく。しかし、その奥には自由な舌への衝動が隠されているのではないか。
多和田葉子『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』、岩波書店、2003年、47〜48頁)

2月下旬に恵比寿の写真美術館でやっていた「恵比寿映像祭」の、カタリーナ・ズィディラーの作品を思い出す。Zdjelar というこの(セルビアの)ややこしい苗字を、外国人が発音しようと懸命に努力しているところを写した作品や、まったく英語がわからない老人に英語の歌を耳で聴き取って自分なりに書き取ってもらうところを写した作品など。今ある言語が壊されつつ別の言語が生成してくるそのプロセスが淡々と写し取られていて、何か身悶えしてしまうようなフィジカルな面白さだった。
どちらかというとぼくは舌の動きを操作して正確な音を出す努力をするのが苦手で、自分なりに口から出力できるようになるまでひたすら耳でコピーする派。

今年も芸術見本市の時期が来た。色んな地域の知り合いと再会できたり、新しく知り合いになれたりして、別に何も売ったり買ったりしない立場だけど、情報交換もできるし、有意義な場。ただ去年はあんなにたくさん来ていたアジア系の人たちがすごく少なくて、結局は欧米の人たちがマジョリティになっているのは残念。

とはいっても、今年はフィンランド勢が大挙して来ていて、先日、彼ら彼女らのために日本のダンスの基礎知識や現状について話すレクチャーを仰せつかった関係で、やたらとフィンランドの人たちと一緒にいる感じになっている。フィン語は、ラテン系やゲルマン系からはまったく類推できそうにない、不思議な言葉で、ハッキネンとかカウリスマキとか、そういう感じで、大使館のAが「ニギリッペ」という日本語がフィン語みたいで面白いと言っていたので、フィンランドには「サーリアホ」っていう作曲家がいるよね、と言ったら、いやもっと凄いのがいっぱいあるよと言って、とても公の場では口にできない、すごい例を真顔で次々に教えてくれた。その中で一番マシだったのが「アホカス」という苗字…。こういうのって厳密な意味で「悲劇」としかいいようがない。

フィンランドからはダンス、演劇、サーカスの関係だけでなく、パフォーマンス関係の人たちが結構来ていて、今年はブリティッシュカウンシルが企画したイギリスの非シアター系のアーティストのショーケースが充実しているので一緒に参加したりした。彼はインタラクティヴデザインの専門家で、パフォーマー振付家とコラボレーションして実験的な作品をいろいろ作っているらしい。ヨーロッパの人たちと話していると、論理的なクリアーさに感心させられることが多いけれども、それは目的をはっきり持つということをしているからだと思う。目的がなければ、論理がクリアーになる必然性がそもそもないし、論理がクリアーにならなければ、ビックリするような結果が生まれることもない。

最近、日本は歳老いた国だと思うようになった。老朽化しているという意味。アジアの中で一番先に、欧米にあおられて慌てて近代化した。その急場凌ぎの足場を、日本が戦争で大失敗した後も、アメリカが利用した。おかげでずっと、近代化の歪みを見ないでいられた。だからバブルの頃、お金はほとんど全部、買物に使ってしまって、まさかそんなタイミングで基礎工事をやり直そうなどとは誰も考えるはずもなかった。若い国というのは、例えば韓国やシンガポールがそうだけれども、経済成長していく日本を横目で見ながら、もっとうまくやったのだと思う。だとすれば、これは単なる時差の問題では終わらないだろう。日本が多分、この先どこまでも沈んでいくのだとしても、後から来る国はたぶんそんな風には沈まないだろう。

会議というのは普通に話している時よりも脳が疲れる。普通にしゃべっているなら5時間ぐらい何でもないのに、会議だと頭痛がしてしまう。Mさんが、会議中は人の話を聞いている時も自分の考えを言葉にしていたり、複雑に頭を使い続けるからじゃないかと言っていた。今週はあと日曜に「80年代」を再検証するシンポジウムの司会をするので資料を整理しなくちゃいけなくて、翌日の月曜には某国大使館で40分も話すのに原稿もヴィデオもこれから作らなくちゃいけない上に、明日は入試の採点で、さらに期末レポートの採点まで残っていて、もちろん夜は舞台に行く。好きでやっていることと、純然たる仕事の境界がないからこういうことになる。

会議後、「福岡フリンジダンスフェスティバル」のスウェイン佳子さんとお会いして、ゆっくりお話する時間を持てた。今月第三回目が開かれたこのフェスは、乗越たかおさんが一人で太鼓を叩いているわけでは決してなく、これまでにない「地域」モデルをダンスという文脈から打ち出しつつあるという点で非常に注目すべきものだと思っている。ぼくは韓国のダンスが数組出るというのと、以前から福岡のダンスシーンに関心があったので初めて出かけたのだが、東京よりもソウルと近いこの場所の特性、面白さを改めて感じた。韓国のフェスの中に「福岡フリンジ」への出演者を選ぶ賞が作られたり、反対に韓国のフェスへ日本側から出演者が選ばれたり、という「双方向」的な関係が成立しているのだが、それが「韓国」と「日本」といったような従来型の二国間交流ではなくて、むしろ「朝鮮半島」と「九州」を一括りにした地域内交流という図式になっている。あたかも県境を超えるような感覚で、国のボーダーをまたいで、結果的に一つの「地域」を形成するという、そんなことが(この日本で)現実味を帯びている。これは画期的だと思う。

ただ実際に18作品を立て続けに見て、思うところは色々ある。まず上演作品の水準。商品として流通しているレヴェルの舞台を輸入することは、福岡では他でもやられている。そうではなくあくまでも「フリンジ」としての位置にこだわりたいというスウェインさんの考えは理解できた。とはいえぼくの印象では、逆に、「フリンジ」にしてはどれも大人しく定型をなぞり過ぎていないかと思った。一通り既存のダンスの枠組(「コンテンポラリーダンス」を含む)の範囲内であって、外から見たらそれなりに自己完結しているように見えるだろう(唯一、熊本の竹之下亮という人がクレイジーだった。舞踏っぽいのだが、上演行為に対してアイロニカルに振る舞う面もあって、良い意味で「壊し屋」たり得ると思った)。「コンテンポラリーダンスは自由」なんだと言うのは簡単でも、案外普通に生活世界の中で行われていたり、他の領域で試みられているかも知れない様々なダンス(あるいはダンス的な行為)に対して開いていくには、「自由」を標榜しているだけでは足りない。むしろ劇場からひとまず離れ、地域の中の「フリンジ」な踊り手や作り手にもっと積極的に出会って行くことが必要なのではないか*1

もう一つ思ったのは、韓国のダンスに対する視点。よく知られているように韓国のダンス界はセクト化しているので、どの入口から入るかによって見えるものが違う。「福岡フリンジ」が提携しているコンペやフェスにはぼくはまだ行ったことがないのだけれども、今回福岡に出演した四組とも見るのは初めてだった。大学教育で基礎がしっかりしているというイメージを覆し、(良くも悪くも)日本によくある学芸会ノリの作品に出会えたのは大きな収穫だったとはいえ、どれも異文化性をほとんど感じさせないものだった。つまり日本のダンスを評価する時と同じ判断基準で選ばれてしまっているように見えて、単に国籍が違う人同士が交流したという以上の出来事ではないように思えた。ぼくはここ最近、韓国の伝統文化(特にシャーマニズム)の考え方が現在のダンス(コンテンポラリーのみならずバレエであれヒップホップであれ)の基層にどれだけ流れ込んでいるかということに注目していて、そこを見れば見るほど韓国の独特さ、異質さが面白くて仕方ないところなので、これでは全く物足りない。自分たちとは違う価値観や、感じ方、考え方にふれて、刺激を受けたいと、誰しも思っているはずだ。そのためには、プロデューサーは、あえて異質なものの異質さを深く理解して、それを適確な仕方で紹介するのがミッションになると思う*2

そして韓国の異質さに目が開かれることが、結果的には福岡のダンスシーンにとっても、自分たちのことを客観視するきっかけになる。ここでようやく、「国」の単位を超えた「地域」というオルタナティヴな枠組をもつことの本当の面白さ、ダイナミズムが味わえるだろう。東京という磁場から離れて、環境の特色がリアルに目に見えるようになってくると思う。もっともその「自分たち」というのが、「福岡」になるのか、「九州」になるのか、「西日本」になるのか、はたまた本当に半島と島をひっくるめた今は名前のない一地域になるのか、その辺は色々であっていいし、あるいはそのどれにもなれないということが(再び)確認されることになったとしても、少なくともダンスを考えるための強力な補助線にはなる。

ところで、冷静に考えてみると、福岡側は「フリンジ」なのに対し、韓国側はソウルのわりとメジャーなフェスで、この関係はあまりバランスが良くない。おそらく韓国のフェスの側は、他国と交流することが「国際性」として評価されたりして色々メリットがあるのだろう*3。それでもウィン・ウィンで悪くはないが、すると「国」を脱しているのは福岡の側だけということになりかねない。ここはやはり、志として、「フリンジ」という価値観そのものを共有できるカウンターパートを韓国の中に求めて行ってもいいのではないかと思う。その意味では、例えばプサンあたりのダンスシーンはどうなっているのかリサーチしてみたら何か見つかるかも知れない。ついでにいえば、済州島対馬などのボーダーゾーンにも興味を惹かれるし、ボーダーという意味では、歴史を遡れば「奈良」とか「崔承喜」とか、色々と視野に入ってくる。

*1:これは神戸・長田区に移ったダンスボックスが非常に面白い活動を展開している。長田区におけるダンスの生態調査(エスノグラフィー)。これについてはまた書く。

*2:もっともこういう異文化性への対応が不足していても、そのことに一番気付きにくいのはまさにヨーロッパと交流する場合なのだが。

*3:80年代以降の韓国のように、国の文化を対外的にアピールしようとする場合、(とりあえずは)翻訳作業が要らないダンスはかなり有効な選択肢になる。