書かずにはおれぬから書くだけ

しつこいがまたクレイジーケンバンドのことを書く。DVD『LIVE AT STUDIO COAST』では RHYMESTER の『肉体関係 part 2』(逆featuring クレイジーケンバンド)が入っていて、ぼくはこれのマキシをもっていないのでDVDの中ではとりわけ愛聴している。RHYMESTER のことはよく知らないのだが、たぶん3人組のラップ・グループで、もとはあまり歌詞のなかった『肉体関係』にラップを乗せて見事な「part 2」を拵えている。とりわけ気に入っているのが歌詞のこのような部分(2コーラス目)。
あの頃こそ演技かい?/センチな記憶はもう偽善に近いのかも
二人そもそも似たもの同士で/出会った時からケダモノ同士で
丸くて動く大きなベッド/から
暗くて狭い後部座席/まで
汗ばんだ肌上気させ
ただ交尾交尾交尾交尾しただけ
踊るタンゴ ライク・Mブランド
中のぞいてみなよ全部がらんどう
愛だ恋だケンチャナヨ
明日は会社を休みなよ

二行目は「ケダモノとして」が正しいようだが、ぼくはずっと「同士で」だと思って聴いていたし、その方が良いと思うのでそのままにしておく。それとか「踊るタンゴ〜」のくだり(ぼくにはちょっと意味が取れないのだが)などやはり横山剣純正の歌詞には及ばないところがあるとはいえ、外部からCKB的世界にここまでうまく接続できるのかと感動させられる卓抜な一曲である。もちろん RHYMESTER のCKBに対する愛の深さもさることながら、無数の接続端子を隠し持つCKBの懐の深さにこそ驚くべきなのだが。一行目では「演技かい」の「かい」が「近い」の「かい」で反復されつつ、アクセントはその後に付された「のかも」へ移動して完全な形式を構成している。また四行目以下の「後部座席」と「上気させ」の呼応、さらに「交尾」が「後部」をやや遠くから想起させるのなども実に心地よい。意味のレヴェルでは横山剣純正詞ほど複雑な内容は見られないのだが、その代わり RHYMESTER からCKBへのオマージュとしてのリファレンスがあちこちに仕込まれている。「ケンチャナヨ」はハングルで「まあいいさ、大丈夫」というような意味の、横山剣愛用のフレーズ(いうまでもなく「ケン」が「剣」にかかっている)であるし、「明日は会社を休みなよ」は名曲『せぷてんばあ』の 明日は会社を休みます の引用である。ちなみに横山剣がラップする部分はおそらく横山剣純正であろうと思われる。例えば、
あの頃オイラは本牧ギャング/あの娘に言わせりゃ男は玩具
糞(SHIT)にまみれた恋のストーリー/嫉妬にかられた俺はストーカー
あれから/右手が/俺の/恋人ABCよりZ(自慰)だ
淫腹野郎と女蒸す舌具/デロリと憑依するオイラは死亡霊

流石としかいいようがない。三行目の「Z」は「G」と表記しているサイトもあったが、これは『まっぴらロック』に入っている『ABCからZまで』を踏まえているので「Z」が正しい。しかもこの「Z」がさらに『右手のあいつ』の歌詞の内容にリンクしているなど、自己言及もやりたい放題に炸裂している。「淫腹野郎と女蒸す舌具」はやり過ぎな気もするが、「インパラ」と「ムスタング」はそれぞれ『葉山ツイスト』と『香港グランプリ』、「死亡霊」は『透明高速』に出てくる通り「シボレー」と、ここは車ネタの曲への自己言及が密集している。この種のマニエリズムはむしろ二行目、「嫉妬」を英語経由で「糞」にかけてそれを「まみれて」で束ねているところなどに極まるだろう。ほとんど文字上でしか意味をなさないのだが、歌詞カードを見た瞬間ニヤリとする楽しみを残してあるともいえる。
とはいえ実は、最近のヘヴィーローテーションは、今のところこのDVDにしか入っていないボサノヴァ『ボサボサノヴァノヴァ』である。これは新宮虎児菅原愛子が歌うのだが、
ボサボサノヴァノヴァ ウーウーウー
ノヴァノヴァボサボサ ウーウーウー

あとはスキャットだけである。それにもかかわらず、一行目と二行目の間には飛躍が見られる。一行目では「ボサノヴァ」をバラしただけのように聞こえるが、それが二行目では「ボサボサ」というなんとも間の抜けた音が、元の意味を離れて浮遊し、例えば「髪がボサボサ」のような連想を招いてしまうのだ。
これが「歌詞」というものだと思う。リズムと意味のアナーキーな戯れ。ところで明日はいよいよシベリア少女鉄道の新作を見に行くのだが、前回『ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』はまさにセリフがラップ化するというネタであり、だからその意味での期待もぼくはシベ少にかけている。『ウォッチ・ミー〜』での水澤瑞恵は素晴らしかった。他の人は全てダメだったが、「作品のイデーを絶妙に不十分な仕方で人目に曝す」というシベ少的詩学に多大な貢献を果たしたのは水澤瑞恵だった。