2007-01-01から1年間の記事一覧

すごい修羅場の連鎖を綱渡り状態で抜け、気づいたら8月が終わっていた。バンコク初日からいきなり帰国後に書類書きをしなければならないことがわかり、帰国してから書こうと思ってた原稿のための時間はそれに食われ、何とか提出して今度は関西へ出かけたら…

旅行前は何の本を持っていくかでいつも悩む。どうでもいい気がするのだが、考え出すと難しい。どうせ大して読まないのだろうけど、時間を持て余すことがないとは限らないし、意外と量をこなせる時もあったりするから、ここは賢明な選択をしたい。しかし物理…

アピチャッポン・ウィーラーセタクンの『ブリスフリー・ユアーズ』('02)をDVDで見る。アジア会議の時にFから「お土産」と言ってもらったのだが、何となく置きっぱなしにしてしまってた。素人っぽい役者の朴訥なセリフとか身振りを粘って撮った長回しが…

今年の夏の特異な現象としては、セミがやたらと地面にいる、ということがおそらく挙げられると思う。なぜ地面にいるのだろう。止まっている時はほとんど身じろぎもしないので、いても気づきにくく、そのくせちょっとした刺激でエキセントリックに反応するか…

久々にユーロスペースに行ったら知らない間に移転していて、あわてて歩きまくった(今年一月にアップリンク・ファクトリーへ行こうとした時と同じ)。カウリスマキの新作は四年ぶりだが、ほぼ真っ直ぐダメになっていく男の人生の中の、ほんの微かなさざ波み…

最近メーラーを変えたら、送ったメールが文字化けしてしまったようで、何人かの人に教えてもらって直した。それで、京都のSさんから帰ってきたメールは、「文字化けしてますよ」の後にさりげなく「お盆だからかな?」と書いてあって、感動した。やはり関西…

今日は『インランド・エンパイア』を見に行くつもりだったのに原稿が終われなくて見送り。尺が3時間もあるのでなかなかタイミングを合わせられない。夜は神楽坂で砂山典子を見た後、Mとサシで飲み。見たくないダンスの二大類型は「自分探し」系と「ストレ…

手塚夏子を見たせいか、この前の紀尾井ホールで配られた小笠原の観光案内パンフレットの中にあった魚の写真、より正確にいえば、魚を釣り上げている人の写真が異様なインパクトで迫ってきた。とにかく魚がデカいのも気味が悪いが、その(死んだことさえ感じ…

火曜、軽く風邪をひいてしまい、ヨロヨロと紀尾井ホールへ行ったら意外なところでKさんに会った。「<東京の夏>音楽祭」の、小笠原とパラオの歌と踊り。パラオの踊りも良かったが、何といっても大平京子さんの歌が泣けた。小笠原は1830年にハワイなどから…

昼過ぎ、選挙の投票へ行く。投票所になった公民館には「オウム真理教(アレフ)信者の方はこの施設を利用することはできません」と貼り紙がしてあった。 サシャ・ヴァルツ。2000年の作品だが、遅くなってもとにかく見られて良かった。有名な作品だから見てお…

かれこれ二ヶ月以上ずっとのた打ち回り続けて、結局論文は期日までに完成できなかったし、もう一本の原稿も遅れに遅れて、やっと何とか終えた。こんなことなら、11月締切(そして刊行は2008年夏)の文章にもそろそろ手をつけて、夏のうちに第一稿ぐらいはあ…

原稿から脱け出せなくて、うなっていても、月曜が来れば講義をしなければならず、そのための準備をしなくてはならず、きつい。今週は「回教徒(ムーゼルマン)」と「ゾーエー」の話をしてから、土方巽と室伏鴻を見てもらって、手塚夏子を見てもらって、最後…

桜美林で舞踊論。ラウシェンバーグの Open Score の第二部と、サシャ・ヴァルツの『ケルパー』を続けて見てもらった後、1989年以前を「歴史の時代」、1989年以降を「動物の時代」と仮に区分し、残りはフーコーの権力論概説。この講義は前期だけだから、そろ…

「身体表現批評」を扱った『Corpus』という雑誌があり、その第2号を、セッションハウスで会ったNさんからようやく入手。この前ぼくが『シアターアーツ』に書いた論考「反スペクタクルと無意味の狭間」について、竹重伸一さんが書いてくれているとのことで…

ラウシェンバーグの Open Score のDVDが届いたので早速見る。凄かった。二部ないし三部構成になっていて、第一部はフランク・ステラとその「テニスの相手」であるらしいミミ・カナレックが、テニスをする。ラケットにトランスミッターが仕込んであって、…

図書館にこもり中。必要な本を自分の家に集めておくことより、巨大図書館の近くに住むことの方が贅沢な夢である、とつくづく感じる。本がきちんと整理され特に全て立って並んでいてすぐに取り出せるということにいちいちそこはかとなく感動する自分に呆れる…

金曜はアゴラでパスカル・ランベールの Le Debut de l'A を見た。ランベールはNYにいた時にDTWで Paradis (unfolding time) というパフォーマンスっぽいものを見たことがある。今回のはセリフのある芝居だったが、言葉が可能にする想像力の自由さが、そ…

桜美林で舞踊論。ここしばらく日本のダンスについて話すが、とにかくヴィデオを見てもらわねばと思うとまとまった話をする時間がとれず何だか中途半端な講義になってしまう…もっと緻密に下準備しなくてはいけない。 先月の新小岩劇場の花上直人の客入れ時に…

京王線で、途中から小学一年生の子供らが大量に乗り込んできてワラワラと人々の隙間を埋め尽くした。一通り落ち着き、列車が動き出すと同時に、全員が進行方向と逆に5センチぐらい、ガクンと、タピオカのように(分子状に)揺れた。 日大のバーク講読。英語…

本郷にて雑務。 Burt, Judson Dance Theatre の第二章 Cunningham, Judson, and the historical avant-garde を読む。60年代のカニンガムの舞台においてデュシャンをはじめとするヨーロッパの歴史的アヴァンギャルドからの影響がいかに強かったかということ…

死亡した携帯はプリペイドだったため番号もろとも消滅してしまい、どうせなら今度は普通の契約電話にしようと思いながら面倒くさくてウダウダと三週間近く。さすがに方々から「携帯がつながりませんが」といわれるのであれこれ比較検討するが各社本当にやや…

ヴィデオが溜まって来ているので少しずつ見る。トリシャ・ブラウンの Set and Reset。83年の作品で、もうガシガシ踊っている。ただしこれは劇場ではなくスタジオのような場所で撮影されていて、セットもなし、カニンガムの Points in Space とかに似た撮り方…

少し前に買っておいたナチョ・デュアトのDVD Three by Duato を見る。中身はインタヴューが少しと、スペイン国立ダンスカンパニーによる Arenal、Duende、Por Vos Muero。後の二つは前に新国立バレエで見ている(初めてデュアトを知ったのはABTの映像…

朝から雨。木曜は本郷に出勤(雑務)。Carrie Lambert のイヴォンヌ・レイナー論“Moving Still: Mediating Yvonne Rainer's Trio A”(October 89, 1999)をようやく読んだ。一応面白いんだけど、辻褄合わせの面白さの方が優っているような…。ロザリンド・ク…

手塚夏子さんとの「カラダバー」は想像以上にお客さんが集まってくれた。「動物を見る」という行為の特別さをフロアと共有するまでには少し時間がかかってしまったが(シロクマやツルやゴリラやエイを、文化や教養やメディアによって作られた記号としてでは…

火曜、携帯を車道に落としてしまったらしく、駅で公衆電話からかけてみたらつながったが誰も出なかった。気が気でなかったが北千住へ行ってNoismを見る。再び自分の携帯にかけてみたら今度はつながらなかった。嫌な予感がする。劇場で、ACCでNYから来て…

このところ、単に自分が好きなダンスと、批評的な(?、例えば上のような意味で)重要性を語れるダンスとは必ずしも重ならないし、一致する必然性もないのだという風に考えたら、いくらか気が楽になった。 今年の第一四半期(1〜3月)に見た中でいえば、2…

2月の黒沢美香『薔薇の人 ―登校―』は一つの謎とその部分的な解決をぼくに示唆してくれた。とはいえ、この謎は、ぼくの知る限りでは誰も解決してみせたことがないばかりか、それが存在するということすら、自分以外の誰かの口から聞いたことはなかった。つま…

小雨が降ったり止んだりしている中を、手塚さんと、手塚さんの息子のKと、上野動物園。昼前から閉園まで、じっくり見て、撮影もしながら、目的なく話す。 ゾウの鼻が動くのを間近で観察したら、傍に簡単な解剖図みたいなものがあり、そこに「鼻筋(びきん)…

土曜日、「動物園とアート」のトークの前に、Gさんと「アジアダンス会議」の今後のことも含めてお互いのアイディアを交換したりした。アジア会議以降の我々の関心としては、アーティストが表現者としてもっと社会性を意識するべきではないかということが大…